ここに掲載した ”hayato”さんによる「占星学(術)の起源」を解説した『占星学(術)の基準』に関する お詫びと訂正.
僕は わかりやすく再構成したつもりだったのですが,再構成のさいに{改変,追加}したために錯誤(さくご)が生(しょう)じてしまい, ”hayato”さんに ご迷惑を お掛けした事を ここに お詫び申し上げますm(_ _)m.
編集:2005年02月24日 18:12.
> BC4世紀ごろの ”天文学”(これは占星学(術)では無い)
AD12世紀(AD11001年〜AD12000年)頃まではastronomie(天文学)とastrologie(占星学)が混同されて使われていたようですので上記の「BC4世紀(BC3001年〜BC4000年)ごろの ”天文学”」は必ずしもastronomie(天文学)とastrologie(占星学)が区別されてたとは言えないようです.
> BC4世紀ごろの ”天文学”では ”歳差”(春分点の移動)が考慮されて春分点を黄経15度としたようですが,その後 いつ占星学(術)が ”歳差”(春分点の移動)を考慮し春分点を固定したのか断定は できないのですが
> 『ギリシャ占星学(術)として受容された頃に「占星学(術)の基準」の春分点が黄経8度か黄経0度に固定された』と言う ”記録”が有る
> 「占星学(術)の基準」の春分点は ”歳差”(春分点の移動)を考慮した(黄経8度か,又は黄経0度の)固定値で有り
上記の「黄経(こうけい)15度,黄経(こうけい)8度,黄経(こうけい)0度」とは全て ”黄経(こうけい)”では無く, ”白羊宮”からの「15度,8度,0度」と言う事です(^_^;)トホホホホ.
なお,それらの ”春分点”が それぞれ黄経(こうけい)0度となります.
又,ギリシャ ではBC150年頃に初めて ヒッパルコス が ”歳差”による ”春分点”の移動を発見し,その後 彼(ヒッパルコス)がBC134年?頃(この年代には イロイロ な説が有るようです)に ”牡羊座”の初めを天空360度の原点に定めたようです.
つまり,上記の時代は まだ ”歳差”( ”春分点”の移動)が発見されてなかったと言う事です(;^_^;)トホホのホ〜.
(注).BC134年?頃の ”牡羊座”と ”白羊宮”の位置は同じだったと思われますが,「占星学(術)の ”基準”」である ”春分点”は ”歳差”によって移動するために,現在の ”牡羊座”と ”白羊宮”の位置は約1ヵ月 程度の ズレ が有り,占星学(術)の ”獣帯(ゾディアック)12宮”と ”12星座”は イコール では有りません.
なお,「 ”春分点”の固定」は「日付の固定」では有りませんので混同なさらないように.
> 暦(こよみ)上の春分点の日付を指していると言うわけでは有りません.
「暦(こよみ)上の ”春分点”」など存在しないと言う事です,「暦(こよみ)上の ”春分”の日付」が正しいようです.
> なおノストラダムスの居た ”AD1500年”代にも その2通りが存在し,ノストラダムスが どちらの「占星学(術)の基準」を使っていたのかは今のところ不明
ヒッパルコス により ”牡羊座”の初めを天空360度の原点に定めたのがBC134年?頃だとすると ノストラダムス の時代の占星学(術)には すでに ”歳差”が導入されてたのでは ないかと思われます(推論)が,そうすると ノストラダムスの時代の「占星学(術)の ”基準”」は「 ”歳差”が考慮された ”天文学”的な ”春分点”(黄経(こうけい)0度)」しか存在しえないと言う事になります(推論).