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日月神示(ひつきしんじ)/ 日の出


◆【日月神示(ひつきしんじ)/日の出】

『富士は晴れたり、日本晴れ。神の国のマコトの神の力を現(あら)はす代となれる、仏(ほとけ)もキリストも何(なに)も彼(か)もハッキリ助けて しち難(むつか)しい御苦労のない代が来るから 身魂(みたま)を不断(ふだん)に磨(みが)いて一筋(ひとすじ)の誠(マコト)を通(とお)してくれよ。
いま一苦労(ひとくろう)あるが、この苦労は身魂(みたま)を磨(みが)いて居(お)らぬと越せぬ、この世 初(はじ)まって二度とない苦労である。
この<結(むす)び>(結末(けつまつ))は神の力でないと何(なに)も出来ん、人間の算盤(ソロバン)では弾(はじ)けんことぞ…。
都(みやこ)の大洗濯、<鄙(ひな)>(田舎(いなか))の大洗濯、人の お洗濯。
今度は何(ど)うも こらへてくれと言うところまで、後(あと)へ引(ひ)かぬから、その積(つも)りで かかって来い、神の国の神の力を、ハッキリと見せてやる時が来た。
嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る…神の力でないと何(な)んにも成就せん、人の力で何(なに)が出来たか…。
戦(いくさ)は今年中と言っゐる(1945年の第2次大戦の終戦ごろの事)が、そんなチョコイ戦(いくさ)ではない、世界中の洗濯ざから、要(い)らぬものが無くなるまでは、終(おわ)らぬ道理(どうり)が分(わか)らぬか。…
己(おのれ)の心を見よ、戦(いくさ)が済んでいないであろ、それで戦(いくさ)が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何(なに)より掃除が第一。
口(くち)と心(こころ)と行(ぎょう)と、三つ揃(そろ)うたマコトを命(ミコト)と言(い)ふぞ』
『上面(うわっつら) 洗(あら)へば (上面(うわっつら)) <よくなる>(綺麗(きれい)になる)なれど、<肚(はら)>(身魂(みたま))の掃除なかなか出来んぞ、…掃除まだまだであるぞ、今度(こんど) 神から見放(みはな)されたら末代(まつだい) 浮(うか)ぶ瀬(せ)ないぞ。…
(一厘(いちりん)の仕組(しくみ))出て来ねば判(わか)らん様(よう)では、それは神力(しんりき) 無いのぞ、軽(かる)き輩(やから)ぢゃぞ、それで神示 読めと くどう申(もう)してゐるのざぞ、神の申(もう)す事 誠(マコト)ざと思ひながら出来んのは<守護神(しゅごしん)>(守護霊(しゅごれい)?)が未(ま)だ悪神(あくしん)の息(いき)から放(はな)れてゐぬ証拠ざぞ、 ”イ・キ”(息) とは初(はじめ)の キ であるぞ、気であるぞ。
悪神(あくしん)は如何様(いかよう)にでも変化(へんげ)るから、悪(あく)に玩具(オモチャ)にされてゐる臣民(しんみん)・人民 可哀想(かわいそう)なから、…神示じっくりと読んで肚(はら)に入れて<高天原(たかまがはら)>(神に つかえる人)となっておりて下されよ。…
まだまだ人民には見当(けんとう) 取れん<妙(みょう)な事>(身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))が次から次にと湧(わ)いて来るから、妙(みょう)な事 此(こ)の方がさしてゐるのざから、…さうなった神の臣民(しんみん) まだまだであろがな、<掃除>(身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))される臣民(しんみん)には掃除する神の心 判(わか)らんから妙(みょう)に見えるのも道理(どうり)ぢゃ。…
何事(なにごと)にも<限(キリ)>(限度(げんど))と云(い)ふ事あるぞ、臣民(しんみん) 可哀想(かわいそう)と申(もう)しても<限(キリ)>(限度(げんど))あるぞ…、人に云(い)ふてもらっての改心では役に立たんぞ、我(われ)と心から改心 致(いた)されよ、我(が)でやらうと思っても やれないのざぞ、それでも我(が)でやって鼻(はな) ポキン・ポキン か、さうならねば人民 <得心(とくしん)>(納得(なっとく)) 出来んから やりたい者はやって見るのもよいぞ、やって見て<得心(とくしん)>(納得(なっとく)) 改心 致(いた)されよ、今度(こんど)は鬼(おに)でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ。
これまでは<夜(よる)>(月夜見命(ツキヨミのミコト))の守護(しゅご)であったが、愈々(いよいよ) <日の出>(アマテラス)の守護(しゅご)と相成(あいな)ったったから物事(ものごと) ゴマカシ きかんのぞ、マコト の人よ、よく神示 見て下され、裏の裏まで見て下され、…神の申(もう)すこと一言半句(いちごんはんく)も間違(まちが)ひないのざぞ。
人民の(身魂(みたま)の如何(いかん)により この日月神示は)其(そ)の心どおりに写(うつ)るから、(幽界(がいこく)身魂(みたま)の ごとき心で)小さく取るから物事(ものごと) 判(わか)らんのさぞ、間違ひだらけとなるのざ…我(が) 出すから苦しんでゐるのざ、神が苦しめてゐるのでないぞ、人民 自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな』
『<神>(国常立大神(くにとこたちのおおかみ))は今まで見て見んふり してゐたが、これからは厳(きび)しく どしどしと神の道に照(て)らして神の世に致(いた)すぞ、その積(つ)りでゐてくれよ。神の申すこと、ちっとも違(ちが)はんぞ』

『この神示、八通りに読めるのざぞ』
『裏(うら)の裏(うら)まで読みて下されよ』
『この神示は心通(こころどお)りに映(うつ)るのざぞ。
思い違(ちが)うと いくら神示(しんじ) 読んでも違(ちが)うことになるぞ』
『神示(しんじ)は その時の心によりて違(ちが)わん、磨(みが)けただけに とれて違(ちが)わんのであるから、我(われ)の心通(こころどお)りに とれるのであるから、同じ神示(しんじ)が同じ神示(しんじ)でないのざぞ』
『この神示 八 通(とお)りに読めるのぢゃ。七 通(とお)りまでは今の人民(じんみん)でも何(なん)とか判(わか)るなれど、八 通(とお)り目は中々ぞ。
<一厘(いちりん)>(1%)(の仕組)が、隠(かく)してあるのぢゃ。隠(かく)したものは現われるのぢゃ。現われているのぢゃ。何(なん)でもない事が中々の事ぢゃ、判(わか)りたか』
『…<一厘(いちりん)>(1%)(の仕組)の事は知らされんぞと申して あろう。申すと仕組 成就(じょうじゅ)せんなり。知らさんので、改心(かいしん) おくれるなり。心の心で取りて下されよ』
『世の元(もと)の大神(おおかみ)の(一厘の)仕組というものは、神々(かみがみ)にも判(わか)らん仕組、判(わか)りては ならず判(わか)らねばならず、なかなかに難(むずか)しい仕組であるぞ。
知らして やりたいなれど、知らしてならん仕組ざぞ』

『心して、怪(あや)しいと思う事は、たとへ神の言葉と申しても 一応(いちおう)は考えよ。神の言葉でも裏表(うらおもて)の見境(みさかい)なく唯(ゆい)に信(しん)じては ならん。審神(サニワ)せよ』
『いろいろの お告(つ)げ出ると申して あろうが。今その通(とお)りぢゃ。
お告(つ)げに迷(まよ)うぞ。審神(さにわ)して聞け。…』
『夜明け まえになると霊がかりがウヨウヨ、勝手・放題(かって・ほうだい)に混ぜくり返すなれど、それも しばらくの狂言(きょうげん)』
『ウヨウヨしている霊ガカリに まだ、だまされて御座(ござ)る人民(じんみん) 多(おお)いのう。
何(なん)と申したら判(わか)るのであるか、奇跡(きせき)を求(もと)めたり、<我善(われよ)しの>(利己的(りこてき)な) <お陰(かげ)>(御利益(ごりやく))を求(もと)めたり、下級な動物(霊)のイレモノとなっているから、だまされるのぢゃ。…早う目覚(めざ)めよ。
因縁(いんねん)とは申しながら可哀想(かわいそう)なから、くどう申して聞かせているのであるぞ。…』
『世界中が霊憑(れいが)かりとなると申してあるのは、今の事であるぞ。憑(か)かりている世界・自身、判(わか)らなくなっているぞ。審神(さにわ)せねばならん。…
”世界”を、 ”日本”を、 ”自分”を審神(さにわ)せねばならん』
『幽界霊(ゆうかいれい)も時により正(ただ)しく善(ぜん)なる事を申すなれど、それは ただ申すだけであるぞ。悪人が口先(くちさき)だけで善(ぜん)を語(かた)るようなものであるぞ、よい事を語(かた)ったとて直(ただ)ちに善神(ぜんしん)と思っては ならん。
よい言葉ならば、たとえ悪神が語(かた)ってもよいでは ないかと申すものもあるなれど、それは理窟(りくつ)ぢゃ、甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいでは ないかと申すことぞ。』

『無理(むり)には引(ひ)っぱってくれるなよ。この神は信者(しんじゃ) 集(あつ)めて喜ぶような神でないぞ。世界中の民、皆 信者(しんじゃ)ぞ。それで教会(きょうかい)のような事するなと申すのぞ。
世界中 <大洗濯(おおせんたく)する>(大難によって身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう)を させる)神ざから、小さい事 思うていると見当(けんとう)とれん事になるぞ』
『信者(しんじゃ) つくるでないぞ、無理(むり)に引っ張(ぱ)るでないぞ』
『今度は末代(まつだい) 動かぬ世にするのざから、今までのような宗教(しゅうきょう)や教(おし)えの集団(しゅうだん)にしては ならんぞ』
『この道は(教(おし)えの集団(しゅうだん)のような)宗教(しゅうきょう)では ないぞ、教会(きょうかい)では ないぞ、道ざから、今までのような教会(きょうかい) つくらせんぞ』
『そなたは まだ方便(ほうべん)を使っているが、方便(ほうべん)の世は済(す)んでいるのぞ。…
教えは みな方便(ほうべん)ぢゃ。教えでは どうにもならん。ギリギリの世となっているのぞ。
道でなくては ならん。変(か)わらぬ太道(ふとみち)でなくては ならん』
『…仏教(ぶっきょう)によるもののみ救われると思っては ならんぞ、キリストによるもののみ救われると思っては ならん、神道(しんとう)によるもののみ救われると思っては ならん、アラーの神によるもののみ救われるのでないぞ、その他 諸々(もろもろ)の神、それぞれの神によるもののみ救われるのでないぞ、
…生(い)かす事が救う事になる場合と、(身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう)が できない人々は)殺(ころ)す事が救う事になる場合は あるなれど』
『宗教(しゅうきょう)によるもの のみ天国に行くと考えるもの、自分の教会のみ天国に通ずると思ふもの、皆 悪の眷族(けんぞく)ばかり、迷(まよ)うなよ、迷(まよ)うは欲(よく)からぢゃ』

『世界 国々(くにぐに) 所々(ところどころ)に、世の<大洗濯(おおせんたく)>(大難による身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう)) 知らす<神柱(かみばしら)>(予言者、預言書) 現わして あろが、これは皆 この方の仕組ぢゃから、皆 仲良(なかよ)う手 引き合って やってくれよ』
『…世界の説教(せっきょう)を よく聞きてくれよ。天の教(おし)え、地の導(みちび)き、よく耳 澄(す)まして聞きとれよ。神の心、段々(だんだん)に判(わか)りて来るぞ』
『神から出た教(おし)えなら、他の教(おし)えとも協力して共(とも)に進(すす)まねばならん。
教派(きょうは)や教義(きょうぎ)に囚(とら)われるのは邪(じゃ)の教(おし)え。
豚(ぶた)に真珠(しんじゅ)となるなよ』
『他の神を拝(はい)しては ならんという、そなたの信仰(しんこう)は それだけのもの、早(はよ)う卒業(そつぎょう) 結構(けっこう)』
『宇宙の総(すべ)ては この神の現(あら)われであり、一面であるから、その何処(どこ) つかんで拝(おが)んでも よいのであるぞ。その何処(どこ) つかんで、すがっても よいのであるぞ。
総(すべ)てに神の息(いき)、通(かよ)うているぞ。一本の箸(はし) 拝(おが)んでも よいのぢゃが、ちゃんとめあて、よいめあて、きめねばならん。…』
『何もかも、存在(そんざい) 許(ゆる)されているものは、それだけの用(はたらき)あるからぞ。
近目(ちかめ)で見るから、善(ぜん)ぢゃ、悪(あく)ぢゃと騒(さわ)ぎ廻(まわ)るのぞ。
大き 一神(いっしん)を信(しん)ずるまでには、部分的(ぶぶんてき) 多神(たしん)から入るのが近道。
大きいものは 一目(ひとめ)では判(わか)らん』

『神は言葉ぞ。言葉とは マコトぞ、息吹(いぶき)ぞ、道ぞ。マコトとは、<マツリ>(神と人と まつろい)合(あ)わした息吹(いぶき)ぞ。言葉で天地(てんち) 濁(にご)るぞ。言葉で天地(てんち) 澄(す)むぞ。…言葉ほど結構(けっこう)な恐(こわ)いもの ないぞ』
『一二三(ひふみ) 肚(はら)に入れよ、イロハ 肚(はら)に入れよ、アイウエオ 早(はよ)う たたえよ、皆 えらい取(と)り違(ちが)いして御座(ござ)るぞ』
『人民(じんみん)が正(ただ)しく言葉すれば、霊(れい)も同時に言霊(ことだま)するぞ。
神も応(こた)え給(たま)うのであるぞ』
『…しまいには その仮名(かな)に頭(あたま) 下(さ)げて来ねばならんぞ。
仮名(かな)とは、神の名ぞ、神の言葉ぞ』
『澄(す)んだ言霊(ことだま)で神示(しんじ) 読み上(あ)げてくれよ、<三千・世界>(神界(しんかい)、幽界(ゆうかい)、現界の3界)に聞かすのぢゃ、そんな事で世が よくなるかと人民 申すで あろうなれど、神の申す通(とお)り、判(わか)らいでも神の申す通(とお)りにやって下されよ、
<三千・世界>(神界(しんかい)、幽界(ゆうかい)、現界の3界)に響(ひび)き渡(わた)って、神々(かみがみ)様も臣民(しんみん)・人民様も、心の中から改心(かいしん)するように なるのざぞ』
『この神示、言葉として読みてくれよ、神々(かみがみ)様にも聞かせてくれよ、守護神(しゅごしん)どのにも聞かしてくれよ、守護神(しゅごしん)どのの改心(かいしん) まだまだであるぞ、
一日が 一年になり百年になると目が廻(まわ)りて、心底(しんそこ)からの改心(かいしん)でないと お役に立たん事になりて来るぞ』
『この神示は、神と竜神(りゅうじん)と天人(てんじん) 天使と人民たちに与(あた)えてあるのぢゃ』
『この神示、腹(はら)の中に入れて おいてくれと申すに、言う事 きく臣民(しんみん) 少ないが、今に後悔(こうかい)するのが、よく判(わか)りているから神は くどう気つけておくのぞ』
『人 ほめるものと思え。言霊(ことだま) 幸(さち)はうぞ。それが人の言葉ぞ。悪(あし)き言葉は言っては ならんぞ。言葉は善(よ)き事のために神が与(あた)えているのだから忘(わす)れんようにな』
『人 ほめよ。人 ほめる事は己(おのれ) ほめる事ぞ』
『人の悪口(わるくち) この方 聞きとうないぞ。まして神の悪口(わるくち)』
『今まで他(ほか)に出て居(い)たのは みな神示先(ふでさき)ぢゃ。ここは神示(ふで)ぢゃ。
<キ>(神の魂(たましい)の現われ=霊的・高次元(こうじげん)の混(ま)じりけの無い純粋(じゅんすい)なエネルギーである”光(こ)透(と)波(ば)”の現われ)の神示ぢゃ』
『七重(ななえ)の花が八重(やえ)に、八重(やえ)が九重(ここのえ)、十重(とえ)に ひらくのであるぞ、七重(ななえ)は キリストぢゃ、八重(やえ)は 仏教ぢゃ、今の神道(しんとう)ぢゃ。…』

『この道に入ると損(そん)をしたり、病気になったり、怪我(けが)をする事が よくあるなれど、それは大難を小難にし、また<メグリ>(悪因縁(あくいんねん))が一時(いちじ)に出て来て、その<借銭(しゃくせん)>(悪因縁(あくいんねん)) 済(す)ましを させられているのぢゃ。
借(か)りたものは返さねばならん道理(どうり)ぢゃ。
損(そん)もよい、病気もよいぞと申して あろうが。
ここの道理(どうり)も弁(わきま)えず理屈(りくつ) 申しているが、そんな人民(じんみん)の機嫌取(きげんと)りする暇(ひま)は なくなったから、早(はよ)う神心(かみごころ)になって下されよ』
『今度(こんど)は<借金(しゃっきん)>(悪因縁)なしになるまで やめれんから、誰(だれ)によらず<借金(しゃっきん)>(悪因縁)なくなるまで苦(くる)し行(ぎょう)せなならんぞ。<借金(しゃっきん)>(悪因縁)なしでないと、お土の うえには住(す)めん事に今度(こんど)は なるぞ』
『<メグリ>(悪因縁(あくいんねん))と申すのは、自分の した事が自分に めぐって来る事であるぞ。
<メグリ>(悪因縁(あくいんねん))は自分で つくるのであるぞ。他を恨(うら)んでは ならん』
『自分の中に あるから近寄(ちかよ)って来るのであるぞ。
嫌(いや)な事 起(お)こって来るのは、嫌(いや)な事が自分の中に あるからぢゃ』
『何か迫(せま)り来るのは、何か迫(せま)り来るものが自分の中に あるからぞ。
内(うち)にあるから外(そと)から迫(せま)るのぢゃ。自分で呼び寄(よ)せているのぢゃ。
苦(くる)しみの神、<因果(いんが)>(悪因縁(あくいんねん))の神 呼んでおいて、<不足(ふそく)>(文句(もんく)) 申している者 多(おお)いのう。
自分で呼び寄(よ)せながら、嫌(いや)がってハネ返す手あるまいに』
『右の頬(ほお)を打(う)たれたら左の頬(ほお)を出せよ。
それが無抵抗で平和の元(もと)ぢゃと申しているが、その心根(こころね)を よく洗(あら)って見つめよ。
それは無抵抗では ないぞ、打(う)たれるようなものを心の中に もっているから打(う)たれるのぞ。…
笑って来る赤子(あかご)の無邪気(むじゃき)は打(う)たれんで あろうが。これが無抵抗ぞ…』
『行(ぎょう)は世界中の行(ぎょう)、誰(だれ) 一人 逃(のが)れるわけには いかんぞ。
<メグリ>(悪因縁(あくいんねん)) 果(は)たしたものから、嬉(うれ)し嬉(うれ)しになる仕組。
そなたの心配 一応(いちおう)は無理ないなれど、何処(どこ)で、どんな事を していても、身魂(みたま) 磨(みが)けてさえおれば、心配 なくなるぞ。心配は、磨(みが)けておらぬ証拠(しょうこ)ぞ』
『身魂(みたま) 磨(みが)けたら、どんな所で どんな事していても心配(しんぱい)ないぞ』

『心(こころ)に<メグリ>(悪因縁)積(つ)むと動物(どうぶつ)(霊(れい))のイレモノとなるぞ、神(かみ)のイレモノ(である人間の肉体を)、動物(どうぶつ)(霊(れい))等(ら)に自由(じゆう)にされていて、それでマコトの神(かみ)の臣民(しんみん)と申(もう)されるか、判(わか)らんと申(もう)してあまりであるぞ。
ゴモク吐(は)き出(だ)せよ、其(そ)の儘(まま)にしておくと段々(だんだん) 大きくなりて始末(しまつ)にゆかんことになりて、しまいには灰(はい)にするより、手(て)なくなるぞ、石(いし)(木(こ)の葉(は)のように川に浮かんで) 流(なが)れて、木(こ)の葉(は)(石(いし)のように川に) 沈(しず)むと申(もう)してあろが、今(いま)が その世(よ)ざぞ』
『我(わ)が名(な) 呼(よ)びて おすがりすれば、万里(まんり) 先(さき)に居(い)ても云(い)うこと聞(き)いてやるぞ、雨(あめ)の神(かみ)、風(かぜ)の神(かみ)、岩(いわ)の神(かみ)、荒(あれ)の神(かみ)、地震(じしん)の神(かみ)、と申(もう)してお願(ねが)いすれば、万里(まんり) 先(さき)に居(い)ても、この世(よ)の荒(あれ)れ、地震(じしん)のがらせてやるぞ、神々様(かみがみさま)に届(とど)く行(おこない)で申(もう)せよ。
こんな良(よ)き世(よ)は今迄(いままで)になかりたのぢゃ、膝元(ひざもと)に居(い)ても言葉(ことば)ばかりの願(ねが)い聞(き)こえんぞ、口(くち)と心(こころ)と行(ぎょう)と三つ揃(そろ)った行(おこな)い、マコトと申(もう)して知(し)らしてあろが。…
ここまで(文明(ぶんめい)が)開(ひら)けたのも神(かみ)が致(いた)したのぢゃ、今(いま)の文明(ぶんめい)なくせんと申(もう)してあろうが、文明(ぶんめい) 残(のこ)してカスだけ無(のう)にいたすのぢゃ、取違(とりちが)い慢心(まんしん) 致(いた)すなよ。
日本の国(くに)いくら大切(たいせつ)と申(もう)しても、世界中(せかいじゅう)の臣民(しんみん)とは替(か)えられんから、国(くに) 引(ひ)っ繰(く)り返(かえ)ること、まだまだあるかも知(し)れんぞ、国(くに)の軸(じく) 動(うご)くと知(し)らしてあろがな。
此(この) 神示(しんじ) <キ>(神の魂(たましい)の現われ=霊的・高次元(こうじげん)の混(ま)じりけの無い純粋(じゅんすい)なエネルギーである”光(こ)透(と)波(ば)”の現われ)の儘(まま)であるから心(こころ)なき人民には見(み)せるでないぞ、あまり きつくて毒(どく)になるから、…薄(うす)めて見(み)せてやれよ、一日(いちにち)も早(はや)く一人(ひとり)でも多(おお)く助(たす)けてやりたいのぢゃ、神(かみ) 祀(まつ)り結構(けっこう)ぞ、神(かみ) 祀(まつ)らいで いくら道(みち) 説(と)いても肚(はら)に入(はい)らんぞ、肚(はら)に入(はい)らん道(みち)は悪(あく)の道(みち)となるのぢゃ、頭(あたま)ばかりで道(みち) 歩(あゆ)めん道理(どうり)わからんか、改心(かいしん) 足(た)らんぞ。』

『祈(いの)る事は結構(けっこう)で あるなれど、祈(いの)るばかりで ものごと成就(じょうじゅ)せんぞ。為(な)すには まず祈(いの)らねばならんが、そなたは そなたの神にのみ祈(いの)っているぞ。
為(な)すのは己(おのれ)であるから、己(おのれ)に祈(いの)らねばならんぞ。
己(おのれ)に祈(いの)りたあと、己(おのれ)が為(な)さねばならんぞ。
乳房(ちぶさ) 与(あた)えられても自分で吸(す)わねば自分の身には つかぬ道理(どうり)ぢゃ。
だが、為(な)したのみでは まだ足(た)らんぞ。時々(ときどき)は省(かえり)みねばならんぞ。
そなたは形(かたち)や口先(くちさき)ばかりで ものを拝(おが)んでいるが、心(こころ)と行(ぎょう)と口と三つ揃(そろ)わねばならん。…』
『そなたは祈(いの)りが足(た)らんぞ。祈(いの)りとは心(こころ)で祈(いの)り願(ねが)う事でないぞ。実行(じっこう)せねばならん。地上人(ちじょうじん)は物としての行動(こうどう)を しなければならんぞ。口と心(こころ)と行(ぎょう)と三つ揃(そろ)わねばと申してある事、忘れたか』
『真剣(しんけん)で求めると、真剣(しんけん) 授(さず)かるぞ。
求(もと)めるとは祈(いの)る事。…日々(ひび)の祈(いの)りは行(ぎょう)であるぞ。
百年 祈(いの)り続(つづ)けても、祈(いの)りだけでは何(なに)もならん。
それは祈(いの)り地獄(じごく)ぢゃ。祈(いの)り地獄(じごく) 多(おお)いのう。
肉体人(にくたいじん)は肉体の<行(ぎょう)>(行動) せねばならん。
日々(ひび)の祈(いの)り結構(けっこう) 致(いた)してくれよ。
次の祈(いの)りは省(かえり)みる事ぞ。いくら祈(いの)り行(ぎょう)じても、自分 省(かえり)みねば、千年 行(ぎょう)じても何(なに)もならん道理(どうり)ぢゃ。
同じ山に登(のぼ)ったり降(お)りたり、ご苦労(くろう)の事、馬鹿(ばか)の散歩(さんぽ)と申すもの。
悔(く)い改(あらた)めよと申して あろう。…』
『自分のためばかりの祈(いの)りには、自分だけの神しか出て来ない。悪の祈(いの)りには悪の神。善(ぜん)の祈(いの)りには善(ぜん)の神。初(はじ)めの あいだは なかなか判(わか)らんものぢゃ。
神様の なされるマネから初(はじ)めて下されよ』

『そなたの仕事(しごと)、思いつき結構(けっこう)であるが、神の御意志(ごいし)を頂(いただ)かねば成就(じょうじゅ)せん。神と申しても、そなたが勝手(かって)に決(き)めた神や、宗教(しゅうきょう)で固(かた)めた制限(せいげん)された神では ないぞ。
判(わか)っただけでは駄目(だめ)ぞ。行(ぎょう)じねばならん。生活(せいかつ)しなければならん』
『一足(いっそく) 飛びには いかん。一歩 一歩と申して あろう。
一度に神様を知りたいと申しても そうは いかん。一年生からぢゃ。出直(でなお)し出直(でなお)し。
子供に大学の事は判(わか)らん。十貫(じゅっかん)の荷物(にもつ)は かつげん道理(どうり)。
進むには、それ相当(そうとう)の苦労(くろう)と努力(どりょく) 要(い)るぞ。
あぐらかいて、懐手(ふところで)していては出来ん。時も要(い)るぞ。金(かね)も要(い)るぞ。汗(あせ)も要(い)るぞ。血も要(い)るぞ。涙(なみだ)も要(い)るぞ。善(よ)いものほど値(ね)が高い』
『次の御用は神示 うつす事ぢゃ。神示 うつすとは、神示を人間に、世界に うつす事ぞ。
神示を中心(ちゅうしん)とした世界の働(はたら)きせよ。<キ>(神の魂(たましい))通(とお)した人間の仕事 仕(つか)えまつれよ。神示 <キ>(元(もと)の魂(たましい))とした世界 つくる事ぞ。
神示に囚(とら)われるから判(わか)らん。…仕事に神示 生(い)かして生活(せいかつ)せよ。
生活(せいかつ)が神示ぢゃ。判(わか)りたか。早(はよ)う次の御用 急(いそ)いで下されよ。
宗教(しゅうきょう)に生(い)きて宗教(しゅうきょう)に囚(とら)われるでないぞ。
仕事が宗教(しゅうきょう)ぢゃ。小さい事から始(はじ)めよ。
小乗(しょうじょう)の行(ぎょう)と馬鹿(ばか)にするでないぞ。
小乗(しょうじょう)の行(ぎょう)から大乗(だいじょう)の真理(しんり)を つかむのであるぞ』
『この世の仕事(しごと)が あの世の仕事(しごと)。
この道理(どうり) 判(わか)らずに、この世の仕事(しごと) 捨(す)てて、神の為(ため)ぢゃと申して飛び廻(まわ)る鼻高(はなだか)さん、ポキンぞ。仕事(しごと) 仕(つか)えまつれよ』
『道は自分で歩(あゆ)めよ。御用は自分で つとめよ。人が さがしてくれるのでないぞ、自分で御用するのぞ。
道は自分で開(ひら)くのぞ。人 頼(たよ)りては ならんぞ』
『仕事は神が与(あた)えたり、人が与(あた)えてくれるのでないぞ。自分自身が仕事にならねばならん。
この道理(どうり)さえ判(わか)れば失業(しつぎょう)は ないぞ。自分が仕事ぢゃからのう』
『人に知(し)れんように善(よ)い事 つとめと申して あろが。人に知(し)れんようにする善(よ)い事 神心(かみごころ)ぞ。神のした事になるのざぞ』
『他の為(ため)に<苦労(くろう)する>(働(はたら)く)事は喜びであるぞ。
全体(ぜんたい)の為(ため)に<苦労(くろう)する>(働(はたら)く)事は喜びぞ』
『公(おおやけ)の事に働(はたら)く事が己(おのれ)のため働(はたら)く事。大の動き為(な)すために小の動き為(な)し、小の動き為(な)すために個(こ)の動き為(な)すのであるぞ。…』
『それは そなたの自己欲(じこよく)から出ているぞ。自己欲(じこよく)も なくては ならんが、段々(だんだん) 浄化(じょうか)して行(ゆ)かねばならん。
浄化(じょうか)して大き自己(じこ)の欲(よく)とせよ。自分のみの欲(よく)となるから弥栄(いやさか)えんのぢゃ。弥栄(いやさか)えんもの神の心に逆行(ぎゃっこう)』
『禁欲(きんよく)は神の<御旨(みむね)>(ご意志(いし))でないぞ。
欲(よく)を浄化(じょうか)して、生(う)めよ、産(う)めよ。
今の人民(じんみん)、欲(よく)の聖化(せいか)を忘(わす)れて御座(ござ)るぞ。
欲(よく)は無限(むげん)に拡(ひろ)がり、次々に新しきもの生(う)み出すぞ。
欲(よく)を導(みちび)けよ自分だけなら 五 尺(しゃく)の身体(しんたい)、五十年の生命であるが、霊(れい)を知り、宇宙の意志(いし)を知り、神に融(と)け入(い)ったならば、無限大(むげんだい)の身体(しんたい)、無限(むげん)の生命となるぞ。
マコトの嬉(うれ)し嬉(うれ)しの喜びとなるのであるぞ』
『そなたは御神業(ごしんぎょう)ぢゃと申して、他に(幽界的(ゆうかいてき),動物的な独(ひと)りよがりの低級(ていきゅう)な自己欲(じこよく)によって)迷惑(めいわく)かけているでないか。
そこから改(あらた)めねばならん。鼻(はな)つまみの御神業(ごしんぎょう)は ないのであるぞ』
『…思うように運(はこ)ばなかったら省(かえり)みよ。己(おのれ)が己(おのれ)に騙(だま)されて、己(おのれ)のためのみに為(な)している事に気づかんのか。それが善であっても、己(おのれ)のためのみならば死し、全のための善ならば弥栄(いやさか)えるぞ。善にも外道(げどう)の善あるぞ。心せよ』
『そなたの もつ悪いクセを直(なお)して下されよ。それが御神業(ごしんぎょう)ぢゃ。
神々(かみがみ)様も自分のクセを直(なお)すために ご苦労(くろう)なさっているぞ。
そのために成長(せいちょう)する。昨日(きのう)の自分であっては ならんぞ。六十の手習(てなら)いで止(と)まっては ならん。死ぬまで、死んでも手習(てなら)いぢゃ』
『人民 マコトと申すと何(なに)も形(かたち)ないものぢゃと思っているが、マコトが元(もと)ざぞ。
<タマ>(魂(たま))と<コト>(物(もの))合わして<マツリ>(神と人と まつろい)合わせてマコトと申すのぢゃ。<ミ>(身(み))と<キ>(魂(たましい))を<マツリ>(まつろい合わせ)たものぢゃ。物(もの)なくては ならんぞ、<タマ>(魂(たま))なくては ならんぞ。
マコト 一つの道ざと申して あろがな。判(わか)りたか。身魂(みたま) 相当(そうとう)に取りて、思うよう やりてみよ。行(ぎょう) 出来れば その通(とお)り行くのぢゃ。神に気に入らん事 スコタンばかりぢゃから、引っ込(こ)み思案(じあん)せずに堂々(どうどう)と やりて下されよ』
『世界中が攻(せ)め寄(よ)せたと申しても、<マコト>(心(しん)、言(ごん)、行(ぎょう)、一致(いっち)した20年?前後のマコトの ”業”(カルマ))には勝てんのであるぞ。
マコトほど結構(けっこう)なものないから、マコトが神風(かみかぜ)であるから、臣民(しんみん)にマコト なくなりていると、どんな気の毒(どく) 出来るか判(わか)らんから、くどう気つけて おくのざぞ』

『神は人民(じんみん)を根本(こんぽん)から、永遠の意味(いみ)で良くしようと、マコトの喜び与(あた)えようと しているのぢゃ。局部的(きょくぶてき)、瞬間的(しゅんかんてき)に見て判(わか)らん事 多(おお)いぞ。<お陰(かげ)>(神霊からの力添(ちからぞ)え)は、すぐには ないものと思え。
すぐの <お陰(かげ)>(神霊からの力添(ちからぞ)え)は下級霊。眉(まゆ)にツバせよ、考えよ』
『世が愈々(いよいよ)の とことんと なったから、今に大神(おおかみ)様まで悪(わる)く申す者 出てくるぞ。産土(うぶすな)様なんぞ あるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山(たくさん) 出てくるぞ。
この世 始(はじ)まってない時ざから、我が身 我が家が可愛(かわい)いようでは神の御用 つとまらんぞ。
神の御用すれば、(神の)道に従(したが)えば、我が身 我が家は心配(しんぱい)なくなるという道理(どうり) 判(わか)らんか。…素直(すなお)に言う事 聞いてくれよ。子に嘘(うそ)つく親は ないのざぞ』
『世が変りたら天地(てんち) 光り、人も光り、草も光り、石も物心(ものごころ)に歌うぞ。…
今の世では風雨(ふうう)を臣民が<ワヤ>(ぶち壊(こわ)し)にしているぞ。降(ふ)っても降(ふ)れず、吹(ふ)いても吹(ふ)かれんように なりているのが判(わか)らんか。
盲(めくら)、聾(つんぼ)の世の中ぞ。神の居(い)る場所ふさいでおりて、お陰(かげ)ないと<不足(ふそく)>(文句(もんく)) 申すが、判(わか)らんと申しても余(あま)りであるぞ。
神ばかりでもならず、臣民ばかりでは なおならず、臣民は神の容(い)れものと申して あろが、天(あめ)の日月(ひつき)の民(たみ)と申すのは、世界 治(おさ)めるミタマの容(い)れものの事ぞ』
『神も人間も同じであると申して あろう。同じであるが違(ちが)うと申して あろう。
それは大神(おおかみ)の中に神を生(う)み、神の中に人間 生(う)んだためぞ。
自分の中に、自分 新しく生(う)むときは、自分と同じカタのものを生(う)む。大神(おおかみ) 弥栄(いやさか)なれば、神も弥栄(いやさか)、神 弥栄(いやさか)なれば人間 弥栄(いやさか)ぞ。…
道ふめと申すのは、生(う)みの親と同じ生(い)き方、同じ心になれよと申す事ぞ。
人間いくら頑張(がんば)っても神の外(そと)には出られん。
神いくら頑張(がんば)っても大神(おおかみ)の外(そと)には出られんぞ』
『人間に自由は ないのであるぞ。真の自由は、大神(おおかみ)にのみあるものぞ。
大神(おおかみ)の自由の一部が御喜(およろこ)びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又 神の喜(よろこ)びとなって人間に流れ入るから、人間自身は自由を もってゐると信ずるのであるぞ。
本質的には自由は ないのであるぞ。人間には自由の影があり、反影(はんえい)あるのざ。
それを人間は自由と心得(こころえ)てゐるのであるぞ。自由の反影(はんえい)あるから、悪にも善にも、陽(よう)にも陰(いん)にも為(な)し得(う)るのであるぞ。
…悪自由を、人間は自由と心得(こころえ)てゐるが、それは自由ではなく、自分自身 首くくるものぞ。
善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあらう』
☆悪自由は結局,自分の おこなった悪業(あくごう)が自分に帰って来るので自分の首を くくるものだと言う事だろう.
『…疑(うたが)うから途中(とちゅう)からガラリと変わるのざぞ。
折角(せっかく) 縁(えん)ありて来た人民(じんみん)ぢゃ、神は <お陰(かげ)>(神霊からの力添(ちからぞ)え)やりたくて うづうづざぞ、…何故(なぜ) <手を出さん>(身魂(みたま)を磨(みが)かん)のぢゃ、<大き器(うつわ)>(磨(みが)けた身魂(みたま)) 持ちて来んのぢゃ。
神示 聴(き)きて居(お)ると身魂(みたま) 太(ふと)るぞ、身魂(みたま) 磨(みが)けるぞ』

『一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠に動かぬ道の事ぞ。
三四五(みよいづ)の仕組とは、御代出(みよい)づの仕組ぞ。御代出(みよい)づの仕組とは、神の御代(みよ)になる事ぞ。この世を神の国に練(ね)り上(あ)げる事ぞ。
神 祀(まつ)りたら三四五(みよいづ)の御用に かかるから、そのつもりで用意(ようい)しておいてくれよ』
『一二三(ひふみ)の仕組が済(す)みたら三四五(みよいづ)の仕組と申してありたが、世の元(もと)の仕組は三四五(みよいづ)の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ。
五六七(みろく)の仕組とは、弥勒(みろく)の仕組の事ぞ』
『外国が いくら攻(せ)めて来るとも、世界の神々(かみがみ)が いくら寄(よ)せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元(もと)の<神力(しんりき)>(”大いなる光りの存在”=霊的・高次元の絶対的・エネルギー) 出して…、神の まことの世に致(いた)すのであるから、神は心配(しんぱい)ないなれど、
ついて来れる臣民(しんみん) 少ないから、早(はよ)う掃除(そうじ)してくれと申すのぞ』
『今の世に、よきように説(と)いて聞かして、七・七(しち・しち)、四十九人、三百四十三人、二千四百一人の(額(ひたい)に ”神の印(いん)”が押された純金(じゅんきん)のランクの)信者 早(はよ)う つくれよ。信者は光りぞ。それが出来たら足場(あしば) 出来るのざぞ』
『早(はよ)う足場(あしば)つくれと申して あろがな。三千の足場(あしば)つくったら、神の光り出ると申して あろうがな。足場(あしば)つくれよ。…足場(あしば)なくては何(なに)も出来ん道理(どうり)、人間にも判(わか)ろうがな、何より足場(あしば) 第一 ざぞ』
『心(こころ) 出来たら、足場(あしば) 固(かた)めねばならん。神の足場(あしば)は 人ぢゃ。三千の足場(あしば)。五千の足場(あしば)』
『神示 判(わか)る臣民 <二 三 分(ぶ)>(2〜3%)できたなら、神、いよいよの とどめ さすなり』

『…動く事も引く事も、進む事も どうする事も出来ん事になりて、臣民(しんみん)は神が この世に ないものと いうようなるぞ、それからが、愈々(いよいよ) 正念場(しょうねんば)ぞ、マコトの神の民と獣(けもの)とをハッキリするのは それからぞ。…
…神の申す事、ちっとも違(ちが)わんぞ、間違(まちが)いの事なら、こんなに くどうは申さんぞ。…』
『神の臣民(しんみん)と獣(けもの)と立て分(わ)けると申して あろうが、…早(はよ)う改心(かいしん)して、身魂(みたま) 洗濯(せんたく) 致(いた)して、神の御用 つとめてくれよ。
大き声せんでも静(しず)かに 一言(ひとこと) 言えば判(わか)る臣民(しんみん)、一言(ひとこと) 言えば 十 知る臣民(しんみん)でないと、マコトの御用は つとまらんぞ。…よく この神示 読んで神の仕組、心に入れて、息吹(いぶき)として、言葉として世界 浄(きよ)めてくれよ』
『まだまだ悪魔は えらい仕組みしているぞ、<神の国>(日本) 千切(せんぎ)りと申してあるが喩(たとえ)では ないぞ、愈々(いよいよ)となりたら神が<神力>(”大いなる光りの存在”=霊的・高次元の絶対的・エネルギー) 出して上下(じょうげ)ひっくり返して神代(かみよ)に致(いた)すぞ、永久の神代(かみよ)に致(いた)すぞ。
細(こま)かく説(と)いて やりたいなれど、細(こま)かく説(と)かねば分(わ)からんようでは神国の民とは言われんぞ。幽界人(がいこくじん)には細(こま)かく説(と)かねば分(わ)からんが、神の臣民(しんみん)には説(と)かいでも分(わ)かる身魂(みたま) 授(さず)けてあるぞ、それで身魂(みたま)みがいてくれと申してあるのぞ。…』
『<メリカ>(アメリカ)も<キリス>(イギリス)は更(さら)なり、ドイツもイタリーも<オロシヤ>(ロシア)も、外国は みな<一つになりて>(東・西の両陣営が2つになって総がかりで) <神の国>(日本)に攻(せ)め寄(よ)せて来るから、その覚悟(かくご)で用意しておけよ。
…どこから どんな事 出来るか、臣民には分(わ)かるまいがな、一寸(いっすん) 先も見えぬほど曇(くも)りて居(お)りて、…畜生(ちくしょう)にも劣(おと)りているぞ。
まだまだ悪くなってくるから、まだまだ落ち沈(しず)まねば本当(ほんとう)の改心(かいしん) 出来ん臣民 沢山(たくさん)あるぞ』
『どちらの国も潰(つぶ)れるところまでになるのぞ。臣民(しんみん)・同士(どうし)は、もう戦(いくさ) かなわんと申しても、この仕組 成就(じょうじゅ)するまでは、神が戦(いくさ)は やめさせんから、神が やめる訳(わけ)には いかんから、今やめたら まだまだ悪(わる)くなるのぞ…。
…早(はよ)う戦(いくさ) 済(す)ませてくれと申しているが、いま(”大いなる光りの存在”=霊的・高次元の絶対的・エネルギー 出して)夜(よ) 明(あ)けたら、臣民(しんみん) <九 分通(ぶどお)り>(90%) なくなるぞ。<お洗濯(せんたく)>(身魂磨(みたまみが)き) 第一 ざぞ』
『…神の国が勝(か)つばかりでは ないのざぞ、世界中の人も、草も、動物も助(たす)けて みな喜(よろ)ぶように せなならんのざから、…神世に致(いた)すのざから…。
人間の知恵(ちえ)で やれるなら、やってみよれ、あちらへ外(はず)れ、こちらへ外(はず)れ、ぬらりくらりと鰻(うなぎ)つかみぞ、思うようには なるまいがな、<神の国>(日本)が本(もと)の国ざから、<神の国>(日本)から改(あらた)めるのざから、一番つらい事になるのざぞ、覚悟(かくご)は よいか、腹(はら)さえ切(き)れぬようなフナフナ腰(ごし)で…。』
『今度(こんど)の行(ぎょう)は世界の臣民(しんみん) 皆、二度とない行(ぎょう)であるから厳(きび)しいのぞ。この行(ぎょう) 出来る人と、よう我慢(がまん) 出来ない人とあるぞ。
この行(ぎょう) 出来ねば灰にするより外(ほか)ないのざぞ』
『神なぞ どうでもよいから、早く楽にしてくれと言う人 沢山(たくさん)あるが、こんな人は、今度(こんど)は みな灰にして、無くしてしまうから、その覚悟(かくご)して居(お)れよ』
『<大峠(おおとうげ)>(破滅的な大難)の最中になったら、キリキリ舞(ま)いして、助けてくれと押し寄せるなれど、その時では 間に合わん、逆立(さかだ)ちして お詫(わ)びに来ても、どうすることも出来ん。みな己(おのれ)の心であるからぞ。…』
『やりかけた戦(いくさ)ぞ、とことんまで行かねば納(おさ)まらん。
臣民(しんみん) 一度は無くなるとろこまでになるぞ、今のうちに この神示よく読んで いてくれよ』
『…臣民(しんみん)なくなるぞ。残(のこ)る臣民(しんみん) <三 分(ぶ)>(3%) 難(むずか)しいぞ。<三 分(ぶ)>(3%)と思えども<二 分(ぶ)>(2%)であるぞ』
『あちらに 一人、こちらに 一人、というふうに残(のこ)るくらい、むごい事に せなならんように なっているのざから、一人でも多く助(たす)けたい親心(おやごころ) 汲(く)みとりて、早(はよ)う言う事 聞くものぢゃ。…』

『人が きかねば神ばかりで始(はじ)めるぞ。神ばかりで洗濯(せんたく)するのは早(はや)いなれど、それでは臣民(しんみん)が可哀想(かわいそう)なから、臣民(しんみん) 皆 やり直(なお)さねばならぬから、気を付けているのに何しているのざ、いつどんな事あっても知らんぞ』
『実地(じっち)の<大峠(おおとうげ)>(大難による身魂磨きのための行)の いよいよとなったら、もう堪忍(かんにん)してくれと どんな臣民も申すぞ、人民には実地(じっち)に目に物 見せねば得心(とくしん)せぬし、実地(じっち)に見せてからでは助(たす)かる臣民 少ないし、神も閉口(へいこう)ぞ。
ひどい所ほど身魂(みたま)に<借銭(しゃくせん)>(悪因縁(あくいんねん))あるのぢゃぞ、身魂(みたま)の悪(あし)き事している国ほど、厳(きび)しき戒(いまし)め致(いた)すのであるぞ』
『…いよいよとなりたら地震、雷ばかりでないぞ、臣民 アフンとして、これは何(なん)としたことぞと、口あいたまま どうする事も出来ん事になるのぞ、
四ツン這(ば)いになりて着る物もなく、獣(けもの)となりて這(は)いまわる人と、…二つにハッキリ 分(わ)かりて来るぞ、獣(けもの)は獣(けもの)の生来(せいらい)いよいよ出すのぞ、火と水の災難(さいなん)が どんなに恐(おそ)ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならん事になりたぞ。
一時(いちじ)は天も地も 一つに まぜまぜにするのざから、人(ひと) 一人も生(い)きては居(お)れんのざぞ、…どこへ逃げても逃げ所(どころ)ないと申して あろがな…。人間の戦(いくさ)や獣(けもの)のケンカ位(くらい)では何(なに)も出来んぞ、くどう気つけておくぞ…』
『(日本に対して) <世界は 一つに>(東・西の両陣営が共(とも)に2つの敵に)なったぞ、<一つになって>(東・西の両陣営が2つになって総(そう)がかりで) <神の国>(日本)に攻(せ)め寄(よ)せて来ると申してある事が出て来たぞ。
臣民(しんみん)には まだ判(わか)るまいなれど、今に判(わか)りてくるぞ、くどう気つけておいた事の愈々(いよいよ)が来たぞ。
覚悟(かくご)は よいか、臣民(しんみん) 一人 一人の心も同じになりて おろがな、<学(がく)>(悪)と神の力との大戦ぞ、神国の神の<力(ちから)>(”大いなる光りの存在”=霊的・高次元の絶対的・エネルギー) 現わす時が近(ちこ)うなりたぞ。
今 現わすと、助(たす)かる臣民(しんみん) 殆(ほとん)ど ないから、神は待てるだけ待ちているのぞ。
臣民(しんみん)も可愛(かわい)いが、元(もと)を潰(つぶ)す事ならんから、愈々(いよいよ)となりたら どんな事ありても、ここまで知らして あるのざから、神に手落(てお)ち あるまいがな。
愈々(いよいよ)となれば、判(わか)っている事なれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では なに馬鹿(ばか)なと申して取り上(あ)げぬ事よく判(わか)っているぞ』

『日に日に厳(きび)しくなりて来ると申してありたこと始まっているのであるぞ。
まだまだ激(はげ)しくなって どうしたらよいか判(わか)らなくなり、あちらへ ウロウロ、こちらへ ウロウロ、頼(たよ)るところも着るものも、住む家も食う物も なくなる世に迫(せま)って来るのざぞ』
『…これからが愈々(いよいよ)の時ざぞ。日本の臣民(しんみん) 同士(どうし)が食い合いするぞ。
かなわんと言うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。…』
『愈々(いよいよ)となれば、外国 強いと見れば、外国へ つく臣民 沢山(たくさん)できるぞ。
そんな臣民 一人も いらぬ、早(はよ)うマコトの者ばかりで<神の国>(日本)を堅(かた)めてくれよ』
『お宮(みや)も壊(こわ)されるぞ。臣民も無くなるぞ。上(うえ)の人 臭(くさ)い飯 食う時 来るぞ。
味方(みかた) 同士が殺し合う時、一度は あるのざぞ。大き声で物 言えん時 来ると申してあろがな。
これからが愈々(いよいよ)ざから、その覚悟(かくご)していて下されよ』
『…一日 一握(ひとにぎ)りのコメに泣く時あるぞ、着る物も泣く事あるぞ、いくら買溜(かいだ)めしても神の許(ゆる)さんもの 一つも身には付かんぞ。着ても着ても、食うても食うても何(なに)もならん餓鬼(がき)の世ざ。…』
『神は気(け)もない時から知らしておくから、この神示よく読んでおれよ。
一握(ひとにぎ)りのコメに泣く事あると知らして あろがな。米ばかりでないぞ、何もかも人間も なくなるところまで行かねばならんのぞ、人間ばかりでないぞ、神々(かみがみ)様さへ今度は無くなる方あるぞ。
人間と云(い)うものは目の先(さき)ばかりより見えんから、呑気(のんき)なものであるが、いざとなりての改心(かいしん)は間に合わんから、くどう気つけてあるのぞ。…』
『金(かね)では治(おさ)まらん。悪神の悪では治(おさ)まらん。
ここまで申しても まだ判(わか)らんか。金(かね)では治(おさ)まらん。
悪の総大将(そうだいしょう)も その事を知っていて、金(かね)で世を潰(つぶ)す計画ざぞ、判(わか)っている守護神(しゅごしん) 早(はよ)う改心 結構(けっこう)ぞ』
『今の世は金(かね)で治(おさ)まるように思うているが、金(かね)の世は滅(ほろ)びの元(もと)であるぞよ』
『政治も経済も何もかも無くなるぞ。食べるものも 一時は無くなってしまうぞ。覚悟(かくご)なされよ』
『病神(やまいがみ)が そこら 一面に はびこって、隙(すき)さえあれば人民(じんみん)の肉体に飛び込(こ)んでしまう計画であるから、余程(よほど) 気つけておりて下されよ』
☆上記の”病神(やまいがみ)”は病原体(びょうげんたい)による疾患(しっかん)は もちろんの事、「科学・兵器、放射性・物質」などによる疾患(しっかん)も考えられる。

『…<江戸(えど)>(穢土(えど)のように煩悩(ぼんのう)や欲望に満ちた けがれた、世界中の都市)が元(もと)の すすき原になる日 近づいたぞ。
<てんし様>(天皇・陛下)を<都>(京都・御所)に移(うつ)さなならん時 来たぞ。
<江戸(えど)>(穢土(えど)のように煩悩(ぼんのう)や欲望に満ちた けがれた、世界中の都市)には人民(じんみん) 住めんような時が 一度は来るのぞ』
『江戸(えど)と申すのは東京ばかりでは ないぞ、今のような(世界中の)都会みな<穢土(えど)>(煩悩(ぼんのう)や欲望に満ちた けがれた世界)であるぞ、穢土(えど)は どうしても火の海ぞ。
それより外(ほか) やり方ないと神々(かみがみ)様 申して居(お)られるぞよ』
『山の谷まで曇(くも)りているぞ、曇(くも)りた所へ火の雨 降(ふ)るぞ、曇(くも)りた所には神は住(す)めんぞ、神なき所 愈々(いよいよ)ざぞ。
ひどい事あるぞ、神が するのでないぞ、臣民(しんみん) 自分でするのざぞ。
一日 一日 延(の)ばして改心(かいしん)さすように致(いた)したいなれど、一日 延(の)ばせば千日 練(ね)り直(なお)さなならんから神は愈々(いよいよ) 鬼となって規則通(きそくどお)りにビシビシと<埒(らち)あける>(決着(けっちゃく) 付ける)ぞ、
もう待たれんぞ、何処(どこ)から何が出て来るか知れんぞと申して あろがな』
『…神は元(もと)の大神(おおかみ)様に延(の)ばせるだけ延(の)ばして頂(いただ)き、一人でも臣民 助(たす)けたいので お願(ねが)いしているのざが、もう おことわり申す術(すべ)なくなりたぞ』

『…悪魔の仕組は この方には判(わか)りているから 一度に潰(つぶ)す事は易(やす)いなれど、それでは天の大神様に すまんなり、
悪 殺(ころ)して しまうのでは なく、悪 改心さして、<五六七(みろく)>(弥勒(みろく))の嬉(うれ)し嬉(うれ)しの世にするのが神の願(ねが)いざから、この道理(どうり) 忘(わす)れるでないぞ』
『悪の総大将(そうだいしょう)よ、早(はよ) 改心(かいしん)なされ。悪の神々(かみがみ)よ早(はよ) 改心(かいしん) 結構(けっこう)であるぞ。
いくら焦(あせ)りて あがいても神国の仕組は判(わか)りは せんぞ。悪とは申せ大将になる身魂(みたま)、改心(かいしん)すれば、今度は いつまでも結構(けっこう)になるのぞ』
『…悪も元(もと)を正(ただ)せば善であるぞ、その働(はたら)きの御用が悪であるぞ、ご苦労の御役であるから、悪 憎(にく)むでないぞ、憎(にく)むと善でなくなるぞ、天地(てんち) にごりてくるぞ。
世界 一つになった時は憎(にく)む事 先(ま)ず さらりと捨(す)てねばならんのぞ、この道理(どうり) 腹(はら)の底(そこ)から判(わか)りて、ガッテン・ガッテンして下されよ』
『この方 悪が可愛(かわい)いのぢゃ、ご苦労(くろう)ぢゃったぞ、もう悪の世は済(す)みたぞ、悪の御用 結構(けっこう)であったぞ。早(はよ)う善に返りて心安(こころやす)く善の御用 聞きくれよ』
『今度(こんど)の<立て替(か)え>(大難による身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))は、敵(てき)と手 握(にぎ)らねばならんのぢゃ。
敵役(てきやく)の神々(かみがみ)様、人民(じんみん)よ、早(はよ)う訪(たず)ねて御座(ござ)れ、この方 待ちに待っているぞ。引っ張(ぱ)ったのでは、心からでないと、役に立たんのぢゃ』
『今日(きょう)までの御教(みおし)えは、悪を殺(ころ)せば善ばかり、輝(かがや)く御代(みよ)が来ると云(い)ふ、これが悪魔の御教(みおし)えぞ、この御教(みおし)えに人民(じんみん)は、すっかり だまされ悪 殺(ころ)す、事が正(ただ)しき事なりと、信(しん)ぜし事の愚(おろ)かさよ、
三千年の昔(むかし)から、幾千万(いくせんまん)の人々が、悪を殺(ころ)して人類の平和を求(もと)め願(ねが)いしも、それは はかなき水の泡(あわ)、
悪 殺(ころ)しても殺(ころ)しても、焼(や)いても煮(に)ても しゃぶっても、悪は ますます増へるのみ、悪 殺(ころ)すてふ その事が悪そのものと知らざるや、
神の心は弥栄(いやさか)ぞ、本来(ほんらい) 悪も善もなし、ただ御光(みひか)りの栄(さか)えゆのみ、八岐大蛇(やまたのおろち)も<金毛(きんもう)>(金毛・九尾・白面(きんもう・きゅうび・しらおもて)のキツネ)も、邪鬼(じゃき)も皆それ生(い)ける神、神の光りの生(う)みしもの、
悪 抱(だ)きませ善も抱(だ)き、<あななふ>(相互(そうご)に助(たす)け合う)所に御力(みちから)の、輝(かがや)く時ぞ来たるなり、
善いさかえば悪なるぞ、善悪・不二(ぜんあく・ふじ)と云(い)ひながら、悪と善とを区別(くべつ)して、導(みちび)く教(おし)え悪なるぞ、
ただ御光(みひか)りの その中に、喜(よろこ)び迎(むか)え善もなく、悪も あらざる天国ぞ、皆 一筋(ひとすじ)の大神(おおかみ)の、働(はたら)きなるぞ悪は なし、
世界・一家の大業(たいぎょう)は、地の上(うえ)ばかりで などかなる、<三千・世界>(神界(しんかい)、幽界(ゆうかい)、現界の3界) 大和(だいわ)して、ただ御光(みひか)りに生(い)きよかし、
生(う)まれ赤児(あかご)と なりなりて、光りの神の説(と)き給(たま)ふ、誠(まこと)の道を すすめかし、マコトの道に弥栄(やさか)ませ』

『幽界人(がいこくじん)よ、日本の国にいる幽界魂(がいこくだましい)の<守護人(しゅごじん)>(守護霊)よ、愈々(いよいよ)となりて生(い)き神の総活動(そうかつどう)になりたら、死ぬ事も生(い)きる事も出来ん苦(くる)しみに 一時(いちじ)は なるのざから、
神から見れば そなた達も子ざから早(はよ)う神の下(もと)に かえりてくれよ、愈々(いよいよ)となりて来たのざぞ、くどう気つけるぞ』
『今度の戦(いくさ)で幽界人(がいこくじん)にも よく判(わか)って、神様には かなわん、どうか言う事 きくから、夜(よる)も昼(ひる)もなく神に仕(つか)えるから ゆるしてくれと申すようになるのざぞ、
それには神の臣民(しんみん)の身魂(みたま) 掃除(そうじ) せなならんのざぞ…』
『…どうにも苦(くる)しくて堪忍(かんにん)してくれと いうように、とことんの時になりたら改心せねばならん事になるのぞ。
幽界人(がいこくじん)も みな神の子ざから、一人 残(のこ)らずに助(たす)けたいのが この方の願(ねが)いと申して あろがな、今に日本の国の光り出るぞ、その時になりて改心 出来て居(お)らぬと臣民(しんみん)は苦(くる)しくて日本の お土の上(うえ)に居(お)れんようになるのぞ』

■《Epilogue》
▲二度目(にどめ)の岩戸閉(いわとし)め。
『次の岩戸閉(いわとし)めは天照大神(あまてらす おおかみ)の時(とき)ぞ、大神(おおかみ)は まだ岩戸(いわと)の中に ましますのぞ、ダマシタ・岩戸(いわと)からは ダマシタ・神が お出ましぞと知らせてあろう。
いよいよと なって マコト の天照大神(あまてらす おおかみ)、天照皇大神(あまてらす こうだいじん)、日(ひ)の大神(おおかみ) 揃(そろ)うて おでまし近(ちこ)う なって来(き)たぞ』
☆アマテラス が洞窟(どうくつ)の中に入(はい)り アメノイワト で入口(いりぐち)を閉(と)ざしてしまうが、オモイカネ の ”知力(ちりょく)”によって作戦(さくせん)を練(ね)り,アメノウズメ の ”虚偽(きょぎ)”によって アメノイワト を開(ひら)かせ,タジカラオ の ”腕力(わんりょく)”によって アマテラス を洞窟(どうくつ)の中から引っ張(ぱ)り出した.
☆”大本神諭”(おおもとしんゆ)にも アマテラス の岩戸開(いわとひら)きが次のように書記(しょき)されている。
『前(まえ)の天照皇大神(あまてらす こうだいじん)殿(どの)の折(おり)、岩戸(いわと)へ お入(はい)りに なりたのを、騙(だま)して岩戸(いわと)を開(ひら)いたのでありたが、岩戸(いわと)を開(ひら)くのが嘘(うそ)を申して、騙(だま)して無理(むり)に引っ張(ぱ)り出(だ)して、この世は勇(いさ)みたら善(よ)いものと、それからは天(あめ)の宇受女命(ウズメのミコト)どのの、嘘(うそ)が手柄(てがら)と なりて、この世が嘘(うそ)で捏(つく)ねた世であるから、神に誠(まこと)が無い故(ゆえ)に、人民が悪(わる)く なるばかり』

『天照皇太神宮(テンショウコウタイジングウ)様(さま)の岩戸開(いわとひら)きは、騙(だま)した、間違(まちが)ひの岩戸開(いわとひら)きぞ、無理(むり)に開(あ)けた岩戸開(いわとひら)きざから、開(ひら)いた神々様に大きな <メグリ>(悪因縁(あくいんねん)) 有るのざぞ、今度(こんど)は メグリ だけの事は せなならんぞ、神には分(わ)け隔(へだ)て無いのざぞ。
今度(こんど)の岩戸開(いわとひら)きは ちっとも間違(まちが)ひ無い、混(ま)ぢり気(け)の無い、マコト の神の息吹(いぶき)で開(ひら)くのざぞ。
混(ま)ぢり有りたら、濁(にご)り少(すこ)しでも有りたら、又 やり直(なお)し せなならんから、くどう気つけているのざぞ。
何時(いつ)までも変(か)わらん マコト で開(ひら)くのざぞ』