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日月神示(ひつきしんじ)/ 岩戸閉(いわとし)め


◆【日月神示(ひつきしんじ)/岩戸閉(いわとし)め】

■《Prologue》
◇数千年間に渡(わた)り五度(ごど)の ”岩戸閉(いわとし)め”が おこなわれて大神(おおかみ)の ”光り”(=エネルギー)が完全に閉(と)ざされる事に なった。それは大神(おおかみ)の守護(しゅご)が完全に無くなり神の守護(しゅご)に なっていると言う事。

■《Main》
▲始(はじ)めの岩戸閉(いわとし)め。
『岩戸閉(いわとし)めの始(はじ)めは<那岐(なぎ)>(=伊邪那岐(いざなぎ))、<那美(なみ)>(=伊邪那美(いざなみ))の命(みこと)の時(とき)であるぞ、那美(なみ)の神が火(ひ)の神を生(う)んで黄泉(よみ)の国に入(はい)られたのが、そもそもであるぞ、十の卵(たまご)を八つ生(う)んで二つ残(のこ)して行かれたのであるぞ、十二の卵(たまご)を十 生(う)んだ事にも なるのであるぞ。
総(す)べて神界(しんかい)の事、霊界の事は現界(げんかい)から見れば妙(みょう)な事であるなれど、それで ちゃんと道(みち)に はまっているのであるぞ。
一(ひと)・ヒネリ してあるのぢゃ…。
夫神(おっとがみ)、妻神(つまがみ)、別(わか)れ別(わか)れに なったから、一方的(いっぽうてき)と なったから、岩戸(いわと)が閉(し)められたのである道理(どうり)、判(わか)るであろうがな。
その後 独(ひと)り神(がみ)と なられた夫神(おっとがみ)が三神(さんしん)を始(はじ)め、色々(いろいろ)な ものを御生(おう)みに なったのであるが、それが一方的(いっぽうてき)である事は申(もう)す迄(まで)もない事であろう、妻神(つまがみ)も同様(どうよう)、黄泉・大神(よみ・たいしん)と なられて、黄泉(よみ)の国の総(す)べてを生(う)みたもうたのであるぞ、この夫婦神(ふうふがみ)が、時(とき) めぐり来(き)て、千引(ちびき)の岩戸(いわと)を開(ひら)かれて相抱(あいだ)き給(たま)う時節(じせつ) 来(き)たのであるぞ。
同(おな)じ名の神が いたる所に現われて来(く)るのざぞ、名は同(おな)じでも、働(はたら)きは逆(ぎゃく)なのであるぞ。
この二つが そろうて、三つと なるのぞ、三が道(みち)ぞと知らせてあろうがな。
時来(ときき)たりなば この千引(ちびき)の岩戸(いわと)を共(とも)に開(ひら)かんと申してあろうがな』
▲二度目(にどめ)の岩戸閉(いわとし)め。
『次の岩戸閉(いわとし)めは天照大神(あまてらす おおかみ)の時(とき)ぞ、大神(おおかみ)は まだ岩戸(いわと)の中に ましますのぞ、ダマシタ・岩戸(いわと)からは ダマシタ・神が お出ましぞと知らせてあろう。
いよいよと なって マコト の天照大神(あまてらす おおかみ)、天照皇大神(あまてらす こうだいじん)、日(ひ)の大神(おおかみ) 揃(そろ)うて おでまし近(ちこ)う なって来(き)たぞ』
☆アマテラス が洞窟(どうくつ)の中に入(はい)り アメノイワト で入口(いりぐち)を閉(と)ざしてしまうが、オモイカネ の ”知力(ちりょく)”によって作戦(さくせん)を練(ね)り,アメノウズメ の ”虚偽(きょぎ)”によって アメノイワト を開(ひら)かせ,タジカラオ の ”腕力(わんりょく)”によって アマテラス を洞窟(どうくつ)の中から引っ張(ぱ)り出した.
☆”大本神諭”(おおもとしんゆ)にも アマテラス の岩戸開(いわとひら)きが次のように書記(しょき)されている。
『前(まえ)の天照皇大神(あまてらす こうだいじん)殿(どの)の折(おり)、岩戸(いわと)へ お入(はい)りに なりたのを、騙(だま)して岩戸(いわと)を開(ひら)いたのでありたが、岩戸(いわと)を開(ひら)くのが嘘(うそ)を申して、騙(だま)して無理(むり)に引っ張(ぱ)り出(だ)して、この世は勇(いさ)みたら善(よ)いものと、それからは天(あめ)の宇受女命(ウズメのミコト)どのの、嘘(うそ)が手柄(てがら)と なりて、この世が嘘(うそ)で捏(つく)ねた世であるから、神に誠(まこと)が無い故(ゆえ)に、人民が悪(わる)く なるばかり』
▲三度目(さんどめ)の岩戸閉(いわとし)め。
『次の岩戸閉(いわとし)めは<素盞鳴命(スサナルのミコト)>(=スサノオ)に総(す)べての罪(つみ)を着(き)せて ネ の国に追いやった時(とき)であるぞ、素盞鳴命(スサナルのミコト)は<天ヶ下(あめがした)>(地上界)を治(しろ)しめす御役(おやく)の神であるぞ。
天ヶ下(あめがした)は重(おも)き ものの積(つ)もりて固まりた ものであるから ツミ と見えるのであって、万(よろず)の天(てん)の神々が積(つ)もる ツミ を良く理解(りかい)せずして罪神(ざいしん)と誤(あやま)ってしまったので、これが正(まさ)しく岩戸閉(いわとし)めであったぞ。
命(みこと)を アラブル・神(かみ)なりと申して伝(つた)えているなれど、アラブル・神(かみ)とは粗暴(そぼう)な神では ないぞ、暴(あば)れ廻(まわ)り、壊(こわ)し廻(まわ)る神では ないぞ<現生(あらぶ)る>(肉体を持って下生(げしょう)する)神であるぞ、天ヶ下(あめがした)、大国土(だいこくど)を守(まも)り育(そだ)て給(たま)う神であるぞ、取(と)り違(ちが)いしていて申し訳(わけ)あるまいがな。
この事 良く理解(りかい)できねば、今度の大峠(おおとうげ)は越(こ)せんぞ。
絶対の御力(おちから)を発揮(はっき)し給(たま)う那岐(なぎ)、那美(なみ)、両神(りょうしん)が、天ヶ下(あめがした)を治(おさむ)らす御役目(おやくめ)を命(めい)じられて御生(おう)み なされた尊(とうと)き御神(みかみ)であるぞ。
素盞鳴命(スサナルのミコト)にも二通(にとお)り在(あ)るぞ、一神(いっしん)で生(う)み給(たま)える御神(おんかみ)と、夫婦(ふうふ) 呼吸(こきゅう)を合(あ)わせて生(う)み給(たま)える御神(おんかみ)と、二通(にとお)り在(あ)るぞ。…』
▲四度目(よんどめ)の岩戸閉(いわとし)め。
『神武・天皇(じんむ・てんのう)の岩戸閉(いわとし)めは、御自(おんみずか)ら人皇(じんのう)を名乗(なの)り給(たま)うより他(ほか)に道(みち)は無きまでの御働(おはたら)きを なされたのであるぞ。
神(かみ)の世から人の世への移(うつ)り変わりの事柄(ことがら)を一応(いちおう)、岩戸(いわと)に隠(かく)して神倭盤彦命(カムヤマト イワレヒコのミコト)として、人皇(じんのう)として立(た)たれたのであるから、大きな岩戸閉(いわとし)めの一つであるぞ』
▲五度目(ごどめ)の岩戸閉(いわとし)め。
『仏教(ぶっきょう)の<渡来(とらい)>(伝来(でんらい))までは、わずかながらも マコト の神道(しんとう)の光りが射(さ)していたのであるなれど、仏教(ぶっきょう)と共(とも)に仏魔(ぶつま) 渡(わた)り来(き)て完全に岩戸(いわと)が閉(し)められて、クラヤミ の世と なったのであるぞ、その後は もう乱(みだ)れ放題(ほうだい)、やり放題(ほうだい)の世と なったのであるぞ、これが五度目(ごどめ)の大きな岩戸閉(いわとし)めであるぞ』
☆この ”仏魔(ぶつま)”とは陰陽道の可能性が有ると思われる.
聖徳太子(しょうとくたいし)により陰陽道は政治・理念(りねん)として非常に重視(じゅうし)されていたので,その陰陽道が日本の政治・理念(りねん)の中心的・役割(やくわり)を担(にな)う事となる.
こうして陰陽道は聖徳太子(しょうとくたいし)によって その日本的な利用に先鞭(せんべん)が つけられた.
その後 天武(てんむ)・天皇によって陰陽寮が官僚・機構(かんりょう・きこう)として設立(せつりつ)される.
初期の陰陽道は百済(くだら)の僧(そう) 観勒(かんろく)によって推古(すいこ)・天皇10年(AD602年)に献上(けんじょう)された「”暦本”,”天文・地理書”,”遁甲(とんこう)・方術(ほうじゅつ)書”」の3つの テキスト に記述(きじゅつ)された陰陽・五行説(いんよう・ごぎょうせつ)を源流(げんりゅう)とする「暦法,天文,相地(そうち),遁甲(とんこう),方術(ほうじゅつ)」の5つの システム・体系(たいけい)と それに「道教(どうきょう),儒教(じゅきょう)」などの信仰・思想(しんこう・しそう)などが加わった ものだと言える.
一般的に陰陽道は仏教系の呪術(じゅじゅつ)のように思われるが,初期の陰陽道は風水的(ふうすいてき)な占術(せんじゅつ)で あった.
後に「呪禁(じゅごん)(=道教的(どうきょうてき)・呪術(じゅじゅつ)),神道(しんとう),密教(みっきょう)(=仏教系・呪術(じゅじゅつ))」などが取り入(い)れられる.
この密教(みっきょう)は9世紀に取り入(い)れられるが,これによって陰陽道は最強の呪術(じゅじゅつ)と言う イメージ を確立(かくりつ)して行く事になる.
ただし,陰陽道と言う名称(めいしょう)が登場するのは10世紀からであり,その陰陽道の読(よ)みは ”おんようどう”と読(よ)まれていた.
この陰陽道が藤原(ふじわら)・氏(し)の覇権・拡大(はけん・かくだい)に利用される事になる.
一番 解(わか)りやすい例を1つ あげると,天安(てんあん)2年(AD858年)に文徳(もんとく)・天皇が崩御(ほうぎょ)すると,藤原良房(ふじわら よしふさ)は9才の清和(せいわ)・天皇を即位(そくい)させ,陰陽寮を その幼少(ようしょう)な天皇を操(あやつ)るための リモコン・装置(そうち)として変貌(へんぼう)させ清和(せいわ)・天皇を ロボット・化した.

■《Epilogue》
『日本の上(うえ)に立つ者に外国の教(おし)え伝(つた)えて外国魂(がいこく だましい)に致(いた)したのは今(いま)に始(はじ)まった事では ないぞ、外国の性根(しょうね) 入(い)れたのが岩戸閉(いわとし)めであるぞ、五度(ごど)ざぞ、判(わか)りたか。
それを元(もと)に戻(もど)すのであるから今度(こんど)の御用(ごよう) 中々(なかなか)であるぞ、<中(なか)つ枝(えだ)>(途中(とちゅう))からの神々様には判(わか)らん事ざと申してある事も ガッテン できるであろうがな。…』
『この(一厘(いちりん)の)仕組(しくみ) 判(わか)りたら上(うえ)の臣民(しんみん)、逆立(さかだち)して おわびに来(く)るなれど、その時(とき)では もう間(ま)に合(あ)わんから くどう気つけているのざぞ。
臣民(しんみん)、可愛(かわい)から嫌(いや)がられても、<この方(かた)>(国常立大神(くにとこたちの おおかみ)) 申すのざ。…
悪の世に なっているのざから、マコト の神さえ悪に巻(ま)き込まれて御座(ござ)る程(ほど) 知らず知らずに悪に なりているのざから、今度(こんど)の世の乱(みだ)れと申す ものは、五度(ごど)の岩戸閉(いわとし)めざから見当(けんとう)とれん、臣民(しんみん)に判(わか)らんのは無理(むり)ないなれど、<それ>(一厘(いちりん)の仕組(しくみ))判(わか)りて貰(もら)わんと結構(けっこう)な御用(ごよう) つとまらんのざぞ、時(とき)が来(き)たら、我(われ)が我(われ)の口(くち)で我(われ)が白状(はくじょう)するように なりて来(く)るぞ、神の臣民(しんみん) 恥(は)ずかしないように してくれよ、臣民(しんみん) 恥(は)ずかし事は、神 恥(は)ずかしのざぞ。
いよいよ善(ぜん)と悪の変(か)わりめであるから、悪神(あくしん) 暴(あば)れるから巻(ま)き込まれぬように褌(ふんどし)しめて、この神示(しんじ) 読(よ)んで、神の心(こころ) くみ取(と)って御用(ごよう) 大切(たいせつ)に なされよ』
『天照皇太神宮(テンショウコウタイジングウ)様(さま)の岩戸開(いわとひら)きは、騙(だま)した、間違(まちが)ひの岩戸開(いわとひら)きぞ、無理(むり)に開(あ)けた岩戸開(いわとひら)きざから、開(ひら)いた神々様に大きな <メグリ>(悪因縁(あくいんねん)) 有るのざぞ、今度(こんど)は メグリ だけの事は せなならんぞ、神には分(わ)け隔(へだ)て無いのざぞ。
今度(こんど)の岩戸開(いわとひら)きは ちっとも間違(まちが)ひ無い、混(ま)ぢり気(け)の無い、マコト の神の息吹(いぶき)で開(ひら)くのざぞ。
混(ま)ぢり有りたら、濁(にご)り少(すこ)しでも有りたら、又 やり直(なお)し せなならんから、くどう気つけているのざぞ。
何時(いつ)までも変(か)わらん マコト で開(ひら)くのざぞ』