日月神示(ひつきしんじ)/
教理(きょうり)
【日月神示(ひつきしんじ)/教理(きょうり)】
『この神示(しんじ)、八 通(とお)りに読めるのざぞ』
『裏(うら)の裏(うら)まで読みて下されよ』
『神示(しんじ)は その時の心(こころ)によりて違(ちが)わん、磨(みが)けただけに とれて違(ちが)わんのであるから、我(われ)の心通(こころどお)りに とれるのであるから、同じ神示(しんじ)が同じ神示(しんじ)でないのざぞ』
『この神示は心通(こころどお)りに映(うつ)るのざぞ。
思い違(ちが)うと いくら神示(しんじ) 読んでも違(ちが)う事になるぞ』
『…この仕組、言うてならず、言わねば判(わか)らんで あろうなれど、神示(しんじ) 読めば因縁(いんねん)だけに判(わか)るのざぞ』
『世界 国々(くにぐに) 所々(ところどころ)に、世の<大洗濯(おおせんたく)>(大難による身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう)) 知らす<神柱(かみばしら)>(予言者、預言書) 現わして あろが、これは皆 この方の仕組ぢゃから、皆 仲良(なかよ)う手 引き合って やってくれよ』
『…世界の説教(せっきょう)を よく聞きてくれよ。天の教(おし)え、地の導(みちび)き、よく耳 澄(す)まして聞きとれよ。神の心、段々(だんだん)に判(わか)りて来るぞ』
『神から出た教(おし)えなら、他の教(おし)えとも協力して共(とも)に進(すす)まねばならん。
教派(きょうは)や教義(きょうぎ)に囚(とら)われるのは邪(じゃ)の教(おし)え。
豚(ぶた)に真珠(しんじゅ)となるなよ』
『他の神を拝(はい)しては ならんという、そなたの信仰(しんこう)は それだけのもの、早(はよ)う卒業(そつぎょう) 結構(けっこう)』
『宇宙の総(すべ)ては この神の現(あら)われであり、一面であるから、その何処(どこ) つかんで拝(おが)んでも よいのであるぞ。その何処(どこ) つかんで、すがっても よいのであるぞ。
総(すべ)てに神の息(いき)、通(かよ)うているぞ。一本の箸(はし) 拝(おが)んでも よいのぢゃが、ちゃんとめあて、よいめあて、きめねばならん。…』
『何もかも、存在(そんざい) 許(ゆる)されているものは、それだけの用(はたらき)あるからぞ。
近目(ちかめ)で見るから、善(ぜん)ぢゃ、悪(あく)ぢゃと騒(さわ)ぎ廻(まわ)るのぞ。
大き 一神(いっしん)を信(しん)ずるまでには、部分的(ぶぶんてき) 多神(たしん)から入るのが近道。
大きいものは 一目(ひとめ)では判(わか)らん』
『この神示 読んで うれしかったら、人に知らしてやれよ。しかし無理(むり)には引(ひ)っぱってくれるなよ。この神は信者(しんじゃ) 集(あつ)めて喜ぶような神でないぞ。
世界中の民、皆 信者(しんじゃ)ぞ。それで教会(きょうかい)のような事するなと申すのぞ。
世界中 <大洗濯(おおせんたく)する>(大難によって身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう)を させる)神ざから、小さい事 思うていると見当(けんとう)とれん事になるぞ』
『信者(しんじゃ) つくるでないぞ、無理(むり)に引っ張(ぱ)るでないぞ』
『今度は末代(まつだい) 動かぬ世にするのざから、今までのような宗教(しゅうきょう)や教(おし)えの集団(しゅうだん)にしては ならんぞ』
『この道は(教(おし)えの集団(しゅうだん)のような)宗教(しゅうきょう)では ないぞ、教会(きょうかい)では ないぞ、道ざから、今までのような教会(きょうかい) つくらせんぞ』
『そなたは まだ方便(ほうべん)を使っているが、方便(ほうべん)の世は済(す)んでいるのぞ。…
教えは みな方便(ほうべん)ぢゃ。教えでは どうにもならん。ギリギリの世となっているのぞ。
道でなくては ならん。変(か)わらぬ太道(ふとみち)でなくては ならん』
『惟神(かんながら)の道とか神道(しんとう)とか日本の道とか今の臣民(しんみん) 申しているが、それが 一等(いっとう)の間違(まちが)いざと申して あろが。
惟神(かんながら)とは、神・人(かみ・ひと) 共(とも)に融(と)け合った姿(すがた)ざぞ。
今の臣民(しんみん)、<神>(神・人(かみ・ひと) 共(とも)に融(と)け合った姿(すがた)) 無くしているでないか、それで惟神(かんながら)も神道(しんとう)もないぞ、心(こころ) 大きく、深(ふか)く、広(ひろ)く持ちて下されよ』
『…<掃除(そうじ)>(身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう)) 終(お)わってから因縁(いんねん)のミタマのみを神が つまみあげて…ミロクの世の人民(じんみん)と致(いた)すのぢゃ、
因縁(いんねん)のミタマには<ヒツク>(日月(ひつき)の神)の印(しるし)が つけてあるぞ、
仏教(ぶっきょう)によるもののみ救われると思っては ならんぞ、キリストによるもののみ救われると思っては ならん、神道(しんとう)によるもののみ救われると思っては ならん、アラーの神によるもののみ救われるのでないぞ、その他 諸々(もろもろ)の神、それぞれの神によるもののみ救われるのでないぞ、
…生(い)かす事が救う事になる場合と、(身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう)が できない人々は)殺(ころ)す事が救う事になる場合は あるなれど』
『宗教(しゅうきょう)によるもの のみ天国に行くと考えるもの、自分の教会のみ天国に通ずると思ふもの、皆 悪の眷族(けんぞく)ばかり、迷(まよ)うなよ、迷(まよ)うは欲(よく)からぢゃ』
『何処(どこ)の教会(きょうかい)も元(もと)は良いのであるが、<取(と)り次(つ)ぎ役員(やくいん)>(宗教・団体の幹部(かんぶ)達)が<ワヤ>(ぶち壊(こわ)し)に しているのぞ。
今の様(さま)は何事(なにごと)ぞ』
『戒律(かいりつ)を つくっては ならん。戒律(かいりつ)が なくては グニャ・グニャになると思うで あろうなれど、戒律(かいりつ)は下(げ)の下(げ)の世界、今の人民には必要(ひつよう)なれど、いつまでも そんな首輪(くびわ)は いらんぞ、戒律(かいりつ)する宗教は亡(ほろ)びると申して あろうが』
『世界中が霊憑(れいが)かりとなると申してあるのは、今の事であるぞ。憑(か)かりている世界・自身、判(わか)らなくなっているぞ。審神(さにわ)せねばならん。…
世界を、日本を、自分を審神(さにわ)せねばならん』
『ウヨウヨしている霊ガカリに まだ、だまされて御座(ござ)る人民(じんみん) 多(おお)いのう。…下級な動物(霊)のイレモノとなっているから、だまされるのぢゃ。…因縁(いんねん)とは申しながら可哀想(かわいそう)なから、くどう申して聞かせているのであるぞ。マコトの道に かえれよ』
『心して、怪(あや)しいと思う事は、たとへ神の言葉と申しても 一応(いちおう)は考えよ。神の言葉でも裏表(うらおもて)の見境(みさかい)なく唯(ゆい)に信(しん)じては ならん。審神(サニワ)せよ』
『<目に見えぬところ>(霊界)からの通信(つうしん)は、高度のものほど肉体的には 感応(かんおう)が弱くなり、暗示的(あんじてき)となるものであるぞ。
ドタン・バタン、大声(おおごえ)で怒鳴(どな)り散(ち)らすのは下(げ)の下(げ)』
『…どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿(ばか)にしては いけない。馬鹿(ばか)にすると反射的(はんしゃてき)に審神(さにわ)を馬鹿(ばか)にして始末(しまつ)に おえん事になるぞ。…』
『審神(サニワ)は、場合(ばあい)によって霊媒(れいばい)を誘導(ゆうどう)してもよいぞ。
又 霊(れい)に向かって常に愛を持って接(せ)しなければならんぞ。
誰(だれ)でも絶(た)えず霊界(れいかい)との つながりがあり、霊界(れいかい)からの呼びかけがあるから、審神(さにわ)は それを助(たす)け、導(みちび)くように努力(どりょく)しなければならんぞ』
『幽界(ゆうかい)は人間界と最(もっと)も深(ふか)い関係(かんけい)にあり、初期(しょき)の霊憑(れいが)かりの殆(ほとん)どは、この幽界(ゆうかい)からの感応(かんおう)による事を忘(わす)れるでないぞ。霊憑(れいが)かりの動作(どうさ)を よく見極(みきわ)めれば すぐ判(わか)る。
高(たか)ぶったり、威張(いば)ったり、命令(めいれい)したり、断言(だんげん)したり、高度(こうど)の神名(しんめい)を名乗(なの)ったりするものは、必(かなら)ず下級霊であるぞ。
インチキ霊に かかるなよ。たとえ神の言葉でも なお審神(さにわ)せよと申してあろう。迷信(めいしん)であっても、それを信(しん)ずる人が多くなれば、信(しん)ずる想念(そうねん)によって実体化(じったいか)し、有力(ゆうりょく)な幽界(ゆうかい)の 一部を つくり出す事があるから気つけておくぞ。
無きはずのものを生(う)み出し、それがまた地上界に反映(はんえい)してくるのであるから、心(こころ)して下されよ。今の人民(じんみん)、<九 分(ぶ) 九 厘(りん)>(99%)は幽界(ゆうかい)との つながりを持つ。胸(むね)に手を あてて、よくよく自分を審神(さにわ)せよ』
『幽界霊(ゆうかいれい)も時により正(ただ)しく善(ぜん)なる事を申すなれど、それは ただ申すだけであるぞ。悪人が口先(くちさき)だけで善(ぜん)を語(かた)るようなものであるぞ、よい事を語(かた)ったとて直(ただ)ちに善神(ぜんしん)と思っては ならん。…
真(しん)の善言・真語(ぜんごん・しんご)は心(しん)、言(ごん)、行(ぎょう)、一致(いっち)であるから直(ただ)ちに力(ちから)する、言葉の上(うえ)のみ同一(どういつ)であっても、心(しん)、言(ごん)、行(ぎょう)、が 一致(いっち)しておらぬと力(ちから)せぬ。
偽(いつわ)りの言葉は、落(お)ちついて聞けば すぐ判(わか)るぞ、同じ「はい」と言う返事(へんじ)でも、不満(ふまん)を もつ時と喜(よろこ)びの時では違(ちが)うで あろうがな。
われは天照大神(アマテラス オオカミ)なり、などと名乗(なの)る霊に ロクなものは ないぞ、大言・壮語(たいげん・そうご)する<人民(じんみん)>(霊媒(れいばい))は マユツバもの』
『霊の要求(ようきゅう)ぢゃと申して、そのままに受(う)け入れては ならんぞ。
よく判断(はんだん)した上(うえ)で処理(しょり)せねばならん。
下級霊、動物霊の場合は酔(よ)いどれのように箸(はし)にも棒(ぼう)にも かからん事を申すものぞ。
殊(こと)に その霊が病気に関連(かんれん)を持っている場合は微妙(びみょう)であるから、よく心得(こころえ)なされよ。
悪い企(くわだ)て、悪い行為(こうい)ぢゃとて、直(ただ)ちに決(き)めつけては ならん、やんわりと もちかけて、善(よ)きに導(みちび)かねばならんぞ、悪を嫌(きら)う心があっては ならん…。
邪道的(じゃどうてき) 要求(ようきゅう)を入れて 一時的(いちじてき)に病気を治(なお)すと、それに倍してブリ返すぞ。この呼吸(こきゅう) 大切(たいせつ)』
『人間の肉体に他の霊(れい)が入って自由にしているのだと、多くの霊覚者(れいかくしゃ)や審神(サニワ)が信(しん)じているなれど、事実(じじつ) そう見えるなれど それは誤(あやま)りであるぞ。
人間の肉体は原則(げんそく)として真理(しんり)の宿(やど)り給(たま)う神の生(い)き宮(みや)であるから、下級霊は中々に入る事は出来ん。
例外(れいがい)は あるなれど(例外として他の霊の魂(たましい)と入れ替(か)わっている場合がある)、肉体霊、外部霊、副守護霊(ふくしゅごれい)などの想念(そうねん)は時によって動物的、幽界的(ゆうかいてき)となるものであるから、それと同一・波調(どういつ・はちょう)の動物的霊が感応(かんおう)する、
感応(かんおう)は するが肉体の内部までは入り込(こ)めない、しかし感応(かんおう)の度(ど)が強ければ入ったと同様(どうよう)に見える状態(じょうたい)となるのである。…』
『霊(れい)の発動(はつどう)を止(と)めて、静(しず)かにする法は、「国常立大神(くにとこたちのおおかみ)守(まも)り給(たま)へ幸(さき)はへ給(たま)へ」と三回 繰(く)り返す事。
または「素盞鳴大神(すさなるのおおかみ)守(まも)り給(たま)へ幸(さき)はへ給(たま)へ」と三回 繰(く)り返す事、または「大日月地大神(おおひつきくにのおおかみ)守(まも)り給(たま)へ幸(さき)はへ給(たま)へ」と三回 繰(く)り返す事。…』
『神は言葉ぞ。言葉とは マコトぞ、息吹(いぶき)ぞ、道ぞ。マコトとは、<マツリ>(神と人と まつろい)合(あ)わした息吹(いぶき)ぞ。言葉で天地(てんち) 濁(にご)るぞ。言葉で天地(てんち) 澄(す)むぞ。…言葉ほど結構(けっこう)な恐(こわ)いもの ないぞ』
『一二三(ひふみ) 肚(はら)に入れよ、イロハ 肚(はら)に入れよ、アイウエオ 早(はよ)う たたえよ、皆 えらい取(と)り違(ちが)いして御座(ござ)るぞ』
『人民(じんみん)が正(ただ)しく言葉すれば、霊(れい)も同時に言霊(ことだま)するぞ。
神も応(こた)え給(たま)うのであるぞ』
『…しまいには その仮名(かな)に頭(あたま) 下(さ)げて来ねばならんぞ。
仮名(かな)とは、神の名ぞ、神の言葉ぞ』
『澄(す)んだ言霊(ことだま)で神示(しんじ) 読み上(あ)げてくれよ、<三千・世界>(神界(しんかい)、幽界(ゆうかい)、現界の3界)に聞かすのぢゃ、そんな事で世が よくなるかと人民 申すで あろうなれど、神の申す通(とお)り、判(わか)らいでも神の申す通(とお)りにやって下されよ、
<三千・世界>(神界(しんかい)、幽界(ゆうかい)、現界の3界)に響(ひび)き渡(わた)って、神々(かみがみ)様も臣民(しんみん)・人民様も、心の中から改心(かいしん)するように なるのざぞ』
『この神示、言葉として読みてくれよ、神々(かみがみ)様にも聞かせてくれよ、守護神(しゅごしん)どのにも聞かしてくれよ、守護神(しゅごしん)どのの改心(かいしん) まだまだであるぞ、
一日が 一年になり百年になると目が廻(まわ)りて、心底(しんそこ)からの改心(かいしん)でないと お役に立たん事になりて来るぞ』
『この神示は、神と竜神(りゅうじん)と天人(てんじん) 天使と人民たちに与(あた)えてあるのぢゃ』
『この神示、腹(はら)の中に入れて おいてくれと申すに、言う事 きく臣民(しんみん) 少ないが、今に後悔(こうかい)するのが、よく判(わか)りているから神は くどう気つけておくのぞ』
『人 ほめるものと思え。言霊(ことだま) 幸(さち)はうぞ。それが人の言葉ぞ。悪(あし)き言葉は言っては ならんぞ。言葉は善(よ)き事のために神が与(あた)えているのだから忘(わす)れんようにな』
『人 ほめよ。人 ほめる事は己(おのれ) ほめる事ぞ』
『人の悪口(わるくち) この方 聞きとうないぞ。まして神の悪口(わるくち)』
『今まで他(ほか)に出て居(い)たのは みな神示先(ふでさき)ぢゃ。ここは神示(ふで)ぢゃ。
<キ>(神の魂(たましい)の現われ=霊的・高次元(こうじげん)の混(ま)じりけの無い純粋(じゅんすい)なエネルギーである”光(こ)透(と)波(ば)”の現われ)の神示ぢゃ』
『七重(ななえ)の花が八重(やえ)に、八重(やえ)が九重(ここのえ)、十重(とえ)に ひらくのであるぞ、七重(ななえ)は キリストぢゃ、八重(やえ)は 仏教ぢゃ、今の神道(しんとう)ぢゃ。…』
『世界中を泥(どろ)の海に せねばならんところまで、それより他(ほか)に道のない所まで押(お)しせっまて来たのであるが尚(なお) <一厘(いちりん)>(1%)の てだては あるのぢゃ。…』
『…残(のこ)る<一厘(いちりん)>(1%)(の仕組)は愈々(いよいよ)のギリギリでないと申さんから、疑(うたが)うのも無理ないなれど、見て御座(ござ)れよ、神の(一厘の)仕組 見事(みごと) 成就(じょうじゅ)いたすぞ。
<一厘(いちりん)>(1%)(の仕組)の事は知らされんぞと申して あろう。申すと仕組 成就(じょうじゅ)せんなり。知らさんので、改心(かいしん) おくれるなり。心の心で取りて下されよ』
『世の元(もと)の大神(おおかみ)の(一厘の)仕組というものは、神々(かみがみ)にも判(わか)らん仕組、判(わか)りては ならず判(わか)らねばならず、なかなかに難(むずか)しい仕組であるぞ。
知らして やりたいなれど、知らしてならん仕組ざぞ』
『<一厘(いちりん)>(1%)(の仕組)の事は言わねばならず、言うては ならず、心と心で知らしたいなれど、心で とりて下されよ、よく神示(しんじ) 読んで さとりてくれよ、神たのむのざぞ』
『この神示 八 通(とお)りに読めるのぢゃ。七 通(とお)りまでは今の人民(じんみん)でも何(なん)とか判(わか)るなれど、八 通(とお)り目は中々ぞ。
<一厘(いちりん)>(1%)(の仕組)が、隠(かく)してあるのぢゃ。隠(かく)したものは現われるのぢゃ。現われているのぢゃ。何(なん)でもない事が中々の事ぢゃ、判(わか)りたか』
『神の <一厘(いちりん)>(1%)の仕組 判(わか)りたら、世界 一列・一平(いちれつ・いっぺい)になるぞ。ますかけひいて、世界の人民(じんみん)、勇(いさ)みに勇(いさ)むぞ。
勇(いさ)む事 この方 嬉(うれ)しきぞ』
『隠(かく)してある <一厘(いちりん)>(1%)の仕組、九十の経綸(けいりん)、成就(じょうじゅ)した暁(あかつき)には何もかも判(わか)る』
『愈々(いよいよ) 世の終(お)わりが来たから<役員(やくいん)>(政府、政治、経済、宗教、警察、自衛隊などの あらゆる団体の幹部(かんぶ)達) 気つけてくれよ。
神世 近づいて嬉(うれ)しいぞよ。…今に(神の 一厘(いちりん)の仕組)判(わか)りて来るから、静(しず)かに神の申す事 聞いておいて下されよ』
『世が変りたら天地(てんち) 光り、人も光り、草も光り、石も物心(ものごころ)に歌うぞ。…
今の世では風雨(ふうう)を臣民が<ワヤ>(ぶち壊(こわ)し)にしているぞ。降(ふ)っても降(ふ)れず、吹(ふ)いても吹(ふ)かれんように なりているのが判(わか)らんか。
盲(めくら)、聾(つんぼ)の世の中ぞ。神の居(い)る場所ふさいでおりて、お陰(かげ)ないと<不足(ふそく)>(文句(もんく)) 申すが、判(わか)らんと申しても余(あま)りであるぞ。
神ばかりでもならず、臣民ばかりでは なおならず、臣民は神の容(い)れものと申して あろが、天(あめ)の日月(ひつき)の民(たみ)と申すのは、世界 治(おさ)めるミタマの容(い)れものの事ぞ』
『神も人間も同じであると申して あろう。同じであるが違(ちが)うと申して あろう。
それは大神(おおかみ)の中に神を生(う)み、神の中に人間 生(う)んだためぞ。
自分の中に、自分 新しく生(う)むときは、自分と同じカタのものを生(う)む。大神(おおかみ) 弥栄(いやさか)なれば、神も弥栄(いやさか)、神 弥栄(いやさか)なれば人間 弥栄(いやさか)ぞ。…
道ふめと申すのは、生(う)みの親と同じ生(い)き方、同じ心になれよと申す事ぞ。
人間いくら頑張(がんば)っても神の外(そと)には出られん。
神いくら頑張(がんば)っても大神(おおかみ)の外(そと)には出られんぞ』
『人間に自由は ないのであるぞ。真の自由は、大神(おおかみ)にのみあるものぞ。
大神(おおかみ)の自由の一部が御喜(およろこ)びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又 神の喜(よろこ)びとなって人間に流れ入るから、人間自身は自由を もってゐると信ずるのであるぞ。
本質的には自由は ないのであるぞ。人間には自由の影があり、反影(はんえい)あるのざ。
それを人間は自由と心得(こころえ)てゐるのであるぞ。自由の反影(はんえい)あるから、悪にも善にも、陽(よう)にも陰(いん)にも為(な)し得(う)るのであるぞ。
…悪自由を、人間は自由と心得(こころえ)てゐるが、それは自由ではなく、自分自身 首くくるものぞ。
善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあらう』
『…神は今まで見て見んふり していたが、これからは厳(きび)しく どしどしと神の道に照(て)らして神の世に致(いた)すぞ、その積(つ)もりで いてくれよ。神の申す事、ちっとも違(ちが)わんぞ』
『…時が来たら、われが われの口で われが白状(はくじょう)するようになりて来るぞ、神の臣民(しんみん) はずかしないように してくれよ、臣民(しんみん) はずかし事は、神 はずかしのざぞ。
いよいよ善(ぜん)と悪との かわりめであるから、悪神 暴(あば)れるから巻込(まきこ)まれぬように褌(ふんどし)しめて、この神示よんで、神の心(こころ) くみとって御用 大切(たいせつ)になされよ』
『…これからが愈々(いよいよ)の戦(いくさ)と なるのざぞ、鉄砲(てっぽう)の戦(いくさ)ばかりでないぞ。その日 その日の戦(いくさ)、激(はげ)しくなるぞ。フンドシ締(し)めてくれよ』
『戦(いくさ) 恐(おそ)れているが、臣民(しんみん)の戦(いくさ)くらい、何が恐(こわ)いのぞ。
それより己(おのれ)の心に巣食(すく)うてる悪(あく)のミタマが恐(こわ)いぞ』
『日本の やり方 違(ちが)っていたという事、五度 違(ちが)ったという事 判(わか)って来ねば、日本の光り出ないぞ。表面(ひょうめん) 飾(かざ)るな。
…これまでの日本の やり方 悪(わる)いから、神が時々(ときどき)、神がかりて知らして やったであろうが、気つけてやったが気の付く臣民(しんみん) ほとんど ないから、今度(こんど) 五度の岩戸(いわと) 一度に開(ひら)いて、びっくり箱(ばこ) 開(ひら)いて天晴(あっぱ)れ神々(かみがみ)様に お目にかけ申すぞ、お喜び いただくのぢゃ。
口上手(くちじょうず)、身振(みぶ)り上手(じょうず)で誠(まこと)ない者、この方 きらいぢゃぞ』
『神は人民(じんみん)を根本(こんぽん)から、永遠の意味(いみ)で良くしようと、マコトの喜び与(あた)えようと しているのぢゃ。局部的(きょくぶてき)、瞬間的(しゅんかんてき)に見て判(わか)らん事 多(おお)いぞ。<お陰(かげ)>(神霊からの力添(ちからぞ)え)は、すぐには ないものと思え。
すぐの <お陰(かげ)>(神霊からの力添(ちからぞ)え)は下級霊。眉(まゆ)にツバせよ、考えよ』
『自分 良くしてくれと申しているが、それは神を小遣(こづか)いに思うているのぞ。大きくなれよ』
『世が愈々(いよいよ)の とことんと なったから、今に大神(おおかみ)様まで悪(わる)く申す者 出てくるぞ。産土(うぶすな)様なんぞ あるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山(たくさん) 出てくるぞ。
この世 始(はじ)まってない時ざから、我が身 我が家が可愛(かわい)いようでは神の御用 つとまらんぞ。
神の御用すれば、(神の)道に従(したが)えば、我が身 我が家は心配(しんぱい)なくなるという道理(どうり) 判(わか)らんか。…素直(すなお)に言う事 聞いてくれよ。子に嘘(うそ)つく親は ないのざぞ』
『この世は みな神のものざから、臣民(しんみん)のものというもの 一つもないぞ。
お土から採(と)れた物、みな先(ま)ず神に供(そな)えよ。
それを頂(いただ)いて身魂(みたま)を養(やしな)うようになっているのに、神には捧(ささ)げずに臣民(しんみん)ばかり食べるから、いくら食べても身魂(みたま)の太(ふと)らぬのぞ。
何(なん)でも神に供(そな)えてから食べると身魂(みたま) 太(ふと)るぞ、今の半分(はんぶん)で足(た)りるぞ、それが臣民(しんみん)の頂(いただ)き方ぞ』
『もの頂(いただ)く時は、柏手(かしわで) 打(う)ちて頂(いただ)けよ、神へ の感謝(かんしゃ)ばかりでないぞ、柏手(かしわで)は弥栄(いやさか)ざぞ、祓(はら)いざぞ、清(きよ)めぞと申して あろうが、清(きよ)め清(きよ)めて祓(はら)いてから頂(いただ)くのざぞ、判(わか)りたか』
『臣民 一日に二度 食べるのざぞ、朝(あさ)は日(ひ)の神様に供(そな)えてから頂(いただ)けよ、夜(よる)は月(つき)の神様に捧(ささ)げてから頂(いただ)けよ、それがマコトの益人(ますびと)ぞ』
『食べるには噛(か)む事ぞ。噛(か)むとは<カミ>(カ=火(ひ)の気、ミ=水(みず)の気の事)ざぞ。
神に供(そな)えてから噛(か)むのざぞ。噛(か)めば噛(か)むほど神となるぞ』
『食べ物 頂(いただ)く時は よくよく噛(か)めと申して あろが。
上(うえ)の歯(は)は<火(ひ)>(火(ひ)の気=”か”)ざぞ。下(した)の歯(は)は<水(みず)>(水(みず)の気=”み”)ざぞ。火(ひ)と水(みず)と合わすのざぞ。カムロギ、カムロミぞ。
噛(か)むと力(ちから) 生(う)まれるぞ。血となるぞ。肉となるぞ』
『また霊人(れいじん)の食物(しょくもつ)は、その質(しつ)において、その霊体(れいたい)のもつ質(しつ)より遠(とお)く離(はな)れたものを好(この)む。
現実・社会における、山菜(さんさい)、果物(くだもの)、海藻(かいそう)などに相当(そうとう)する植物性のもの(五穀(ごこく)、野菜(やさい)なども含(ふく)まれる)を好(この)み、同類(どうるい)である動物性のものは好(この)まない。
何故(なぜ)ならば、性の遠(とお)く離(はな)れた食物(しょくもつ)ほど歓喜(かんき)の度(ど)が強くなって くるからである。霊人(れいじん)・自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜(かんき)しないのみならず、かえって不快(ふかい)となるからである』
『…霊人(れいじん)は また、いろいろな食物(しょくもつ)を食(しょく)している。
言うまでもなく、霊人(れいじん)の食物(しょくもつ)であるが、これまた その霊人(れいじん)の状態(じょうたい)によって千変万化(せんぺんばんか)するが、要(よう)するに(植物性の食物(しょくもつ)の場合には)歓喜(かんき)を食べているのである。
食べられる(植物性の)霊食(れいしょく)そのものも、食べられる霊人(れいじん)も、いずれも食べるという事によって歓喜(かんき)しているのである。
…(植物性の食物(しょくもつ)の場合には)食べるという事は、霊人(れいじん)と(植物性の)霊食(れいしょく)とが調和(ちょうわ)し、溶(と)け合い、一つの歓喜(かんき)となる事である。
霊人(れいじん)から見れば、食物(しょくもつ)を自分自身たる霊人(れいじん)の 一部とするのであるが、(植物性の)食物(しょくもつ)から見れば、霊人(れいじん)を食物(しょくもつ)としての歓喜(かんき)の中に引き入れる事となるのである。
…(植物性の)食物(しょくもつ)は歓喜(かんき)であり、歓喜(かんき)は神であるから、神から神を あたえられているのである。
以上の如(ごと)くであるから、他から霊人(れいじん)の食べるのを見ていると、食べているのか、食べられているのか判(わか)らない程(ほど)である』
『…悪魔の仕組は この方には判(わか)りているから 一度に潰(つぶ)す事は易(やす)いなれど、それでは天の大神様に すまんなり、
悪 殺(ころ)して しまうのでは なく、悪 改心さして、<五六七(みろく)>(弥勒(みろく))の嬉(うれ)し嬉(うれ)しの世にするのが神の願(ねが)いざから、この道理(どうり) 忘(わす)れるでないぞ』
『悪の総大将(そうだいしょう)よ、早(はよ) 改心(かいしん)なされ。悪の神々(かみがみ)よ早(はよ) 改心(かいしん) 結構(けっこう)であるぞ。
いくら焦(あせ)りて あがいても神国の仕組は判(わか)りは せんぞ。悪とは申せ大将になる身魂(みたま)、改心(かいしん)すれば、今度は いつまでも結構(けっこう)になるのぞ』
『…悪も元(もと)を正(ただ)せば善であるぞ、その働(はたら)きの御用が悪であるぞ、ご苦労の御役であるから、悪 憎(にく)むでないぞ、憎(にく)むと善でなくなるぞ、天地(てんち) にごりてくるぞ。
世界 一つになった時は憎(にく)む事 先(ま)ず さらりと捨(す)てねばならんのぞ、この道理(どうり) 腹(はら)の底(そこ)から判(わか)りて、ガッテン・ガッテンして下されよ』
『この方 悪が可愛(かわい)いのぢゃ、ご苦労(くろう)ぢゃったぞ、もう悪の世は済(す)みたぞ、悪の御用 結構(けっこう)であったぞ。早(はよ)う善に返りて心安(こころやす)く善の御用 聞きくれよ』
『今度(こんど)の<立て替(か)え>(大難による身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))は、敵(てき)と手 握(にぎ)らねばならんのぢゃ。
敵役(てきやく)の神々(かみがみ)様、人民(じんみん)よ、早(はよ)う訪(たず)ねて御座(ござ)れ、この方 待ちに待っているぞ。引っ張(ぱ)ったのでは、心からでないと、役に立たんのぢゃ』
『今日(きょう)までの御教(みおし)えは、悪を殺(ころ)せば善ばかり、輝(かがや)く御代(みよ)が来ると云(い)ふ、これが悪魔の御教(みおし)えぞ、この御教(みおし)えに人民(じんみん)は、すっかり だまされ悪 殺(ころ)す、事が正(ただ)しき事なりと、信(しん)ぜし事の愚(おろ)かさよ、
三千年の昔(むかし)から、幾千万(いくせんまん)の人々が、悪を殺(ころ)して人類の平和を求(もと)め願(ねが)いしも、それは はかなき水の泡(あわ)、
悪 殺(ころ)しても殺(ころ)しても、焼(や)いても煮(に)ても しゃぶっても、悪は ますます増へるのみ、悪 殺(ころ)すてふ その事が悪そのものと知らざるや、
神の心は弥栄(いやさか)ぞ、本来(ほんらい) 悪も善もなし、ただ御光(みひか)りの栄(さか)えゆのみ、八岐大蛇(やまたのおろち)も<金毛(きんもう)>(金毛・九尾・白面(きんもう・きゅうび・しらおもて)のキツネ)も、邪鬼(じゃき)も皆それ生(い)ける神、神の光りの生(う)みしもの、
悪 抱(だ)きませ善も抱(だ)き、<あななふ>(相互(そうご)に助(たす)け合う)所に御力(みちから)の、輝(かがや)く時ぞ来たるなり、
善いさかえば悪なるぞ、善悪・不二(ぜんあく・ふじ)と云(い)ひながら、悪と善とを区別(くべつ)して、導(みちび)く教(おし)え悪なるぞ、ただ御光(みひか)りの その中に、喜(よろこ)び迎(むか)え善もなく、悪も あらざる天国ぞ、皆 一筋(ひとすじ)の大神(おおかみ)の、働(はたら)きなるぞ悪は なし、
世界・一家の大業(たいぎょう)は、地の上(うえ)ばかりで などかなる、<三千・世界>(神界(しんかい)、幽界(ゆうかい)、現界の3界) 大和(だいわ)して、ただ御光(みひか)りに生(い)きよかし、
生(う)まれ赤児(あかご)と なりなりて、光りの神の説(と)き給(たま)ふ、誠(まこと)の道を すすめかし、マコトの道に弥栄(やさか)ませ』
『幽界人(がいこくじん)よ、日本の国にいる幽界魂(がいこくだましい)の<守護人(しゅごじん)>(守護霊)よ、愈々(いよいよ)となりて生(い)き神の総活動(そうかつどう)になりたら、死ぬ事も生(い)きる事も出来ん苦(くる)しみに 一時(いちじ)は なるのざから、
神から見れば そなた達も子ざから早(はよ)う神の下(もと)に かえりてくれよ、愈々(いよいよ)となりて来たのざぞ、くどう気つけるぞ』
『今度の戦(いくさ)で幽界人(がいこくじん)にも よく判(わか)って、神様には かなわん、どうか言う事 きくから、夜(よる)も昼(ひる)もなく神に仕(つか)えるから ゆるしてくれと申すようになるのざぞ、
それには神の臣民(しんみん)の身魂(みたま) 掃除(そうじ) せなならんのざぞ、くどいようなれど 一時(いっとき)も早く 一人でも多く改心(かいしん)して下されよ、神は急(いそ)ぐのざぞ』
『…一握(ひとにぎ)りに握(にぎ)りつぶして喰らう積(つ)もりで攻めて来るなれど、…どうにも苦(くる)しくて堪忍(かんにん)してくれと いうように、とことんの時になりたら改心せねばならん事になるのぞ。
幽界人(がいこくじん)も みな神の子ざから、一人 残(のこ)らずに助(たす)けたいのが この方の願(ねが)いと申して あろがな、今に日本の国の光り出るぞ、その時になりて改心 出来て居(お)らぬと臣民(しんみん)は苦(くる)しくて日本の お土の上(うえ)に居(お)れんようになるのぞ』
『日本ばかりが可愛(かわい)いのでは ないぞ。世界の臣民(しんみん)、みな我(わ)が子ぞ。
分(わ)けへだてないのざぞ』
『神の目には外国も大和(やまと)もないのざぞ。みなが神の国ぞ』
『顔は<神の臣民(しんみん)>(日本人)でも心は幽界・身魂(がいこく・みたま)ぞ。
顔は外国人でも身魂(みたま)は神の臣民(しんみん)あるぞ』
『日本の人民(じんみん)の<九分九分九厘(くぶ くぶ くりん)>(99.9%)まで悪になりているから、外国を日本の地に致(いた)さねばならんから、日本の地には置(お)かれんから、どんな事あっても神は もう知らんぞよ』
『外国を日本の地面(じめん)に せなならん。日本と にほんと取り違(ちが)いすな』
『悪(あく)の仕組は、日本魂(にっぽんだましい)を根(ね)こそぎ抜(ぬ)いてしもうて、…一呑(ひとの)みにする計画であるぞ。日本の臣民(しんみん)、悪(あく)の計画 通(どお)りになりて、尻(しり)の毛まで抜(ぬ)かれていても、まだ気づかんか。…日に日に悪(わる)くなりてきているぞ。
<メグリ>(悪因縁(あくいんねん))ある金(かね)でも物でも持ちていたら よいように思うているが、えらい取り違(ちが)いであるぞ、早(はよ)う神の申す事 聞いて下されよ』
『元(もと)の神代(かみよ)に返すというのは、たとえでないぞ。
穴の中に住(す)まなならん事 出来るぞ、生(なま)の物 食うて暮(く)らさなならんし、臣民(しんみん) 取(と)り違(ちが)いばかりしているぞ、何もかも 一旦(いったん)は天地(てんち)へ お引き上(あ)げぞ、われの欲(よく)ばかり言っていると大変(たいへん)が出来るぞ』
『病神(やまいがみ)が そこら 一面に はびこって、隙(すき)さえあれば人民(じんみん)の肉体に飛び込(こ)んでしまう計画であるから、余程(よほど) 気つけておりて下されよ』
『学問の世は済(す)みたぞ、学者は閉口(へいこう)するぞ、商売の世も済(す)みたから商売人も閉口(へいこう)するぞ、力(ちから)仕事は出来んし、共喰(ともぐ)いするより外(ほか)に道ないと申す人民ばかりになるぞ、今までとは さっぱり物事(ものごと) 変えるから、今までの やり方 考え方 変えてくれよ…』
『金(かね)は要(い)らぬのざぞ、…金(かね)は自分のものと頑張(がんば)っている人間、気の毒(どく) 出来るぞ、何もかも天地(てんち)へ引き上(あ)げぞ…。金(かね)がカタキの世 来たぞ』
『今度(こんど)の<境堺(さかい)の峠(とうげ)>(大難による身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))は、金銀(きんぎん)では越(こ)せんから、神徳(しんとく)でないと越(こ)せんから、身魂(みたま)の磨(みが)き合いを して居(お)りて下されよ』
『…これは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分・勝手(じぶん・かって)にしているのが神の気に入らんぞ。一度は天地(てんち)に引き上(あ)げと知らしてありた事 忘(わす)れては ならんぞ。
一本の草でも神のものぞ』
『一日 一握(ひとにぎ)りのコメに泣く時あるぞ、着る物も泣く事あるぞ、いくら買溜(かいだ)めしても神の許(ゆる)さんもの 一つも身には付かんぞ。着ても着ても、食うても食うても何(なに)もならん餓鬼(がき)の世ざ。早(はよ)う神心(かみごころ)に かえりてくれよ』
『…味方(みかた)と思うた国々も、<一つになりて>(2つになって総(そう)がかりで)攻めて来る、
梶(かじ)も櫂(かい)さえ折(お)れた舟、どうする事も なくなくに、苦(くる)しい時の神頼(かみだの)み、それでは神も手が出せぬ、腐(くさ)りたものは腐(くさ)らして、肥料(ひりょう)になりと思えども、肥料(ひりょう)にさえも ならぬもの、沢山(たくさん) 出来て居(お)ろうがな、…
この世の終わりは神国の、始(はじ)めと思え臣民(しんみん)よ、神々(かみがみ)様にも知らすぞよ、神は いつでも かかれるぞ、人の用意を急(いそ)ぐぞよ』
『これからが愈々(いよいよ)の時ざぞ。日本の臣民(しんみん) 同士(どうし)が食い合いするぞ。
かなわんと言うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。…』
『今 外国 よいと申している臣民(しんみん)は、外国へ言っても嫌(きら)われるぞ。
外国にも住(す)むところ無くなるぞ。
外国も日本も ないのざぞ、外国とは<我善(われよ)し>(利己・主義(りこ・しゅぎ))の国の事ぞ。
神国は大丈夫(だいじょうぶ)ざが、外国や日本の国、大丈夫(だいじょうぶ)とは申されんぞ』
『愈々(いよいよ)となれば、外国 強いと見れば、外国へ つく臣民 沢山(たくさん)できるぞ。そんな臣民 一人も いらぬ、早(はよ)うマコトの者ばかりで<神の国>(日本)を堅(かた)めてくれよ』
『…臣民(しんみん)なくなるぞ。残(のこ)る臣民(しんみん) <三 分(ぶ)>(3%) 難(むずか)しいぞ。<三 分(ぶ)>(3%)と思えども<二 分(ぶ)>(2%)であるぞ』
『あちらに 一人、こちらに 一人、というふうに残(のこ)るくらい、むごい事に せなならんように なっているのざから、一人でも多く助(たす)けたい親心(おやごころ) 汲(く)みとりて、早(はよ)う言う事 聞くものぢゃ。…』
『…この神示よく読んでおれよ。一握(ひとにぎ)りのコメに泣く事あると知らして あろがな。
米ばかりでないぞ、何もかも人間も なくなるところまで行かねばならんのぞ、人間ばかりでないぞ、神々(かみがみ)様さへ今度は無くなる方あるぞ。人間と云(い)うものは目の先(さき)ばかりより見えんから、呑気(のんき)なものであるが、いざとなりての改心(かいしん)は間に合わんから、くどう気つけてあるのぞ。
日本ばかりでないぞ。世界中は おろか<三千・世界>(神界(しんかい)、幽界(ゆうかい)、現界の3界)の<大洗濯(おおせんたく)>(大難による身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))と申して あろうがな、神に すがりて神の申す通(とお)りにするより外(ほか)には道がないぞ』
『肉体あるうちに改心(かいしん)しておかんと、霊になってからの改心(かいしん)なかなかぞ』
『…神は元(もと)の大神(おおかみ)様に延(の)ばせるだけ延(の)ばして頂(いただ)き、一人でも臣民 助(たす)けたいので お願(ねが)いしているのざが、もう おことわり申す術(すべ)なくなりたぞ』
『山の谷まで曇(くも)りているぞ、曇(くも)りた所へ火の雨 降(ふ)るぞ、曇(くも)りた所には神は住(す)めんぞ、神なき所 愈々(いよいよ)ざぞ。ひどい事あるぞ、神が するのでないぞ、臣民(しんみん) 自分でするのざぞ。
一日 一日 延(の)ばして改心(かいしん)さすように致(いた)したいなれど、一日 延(の)ばせば千日 練(ね)り直(なお)さなならんから神は愈々(いよいよ) 鬼となって規則通(きそくどお)りにビシビシと<埒(らち)あける>(決着(けっちゃく) 付ける)ぞ、
もう待たれんぞ、何処(どこ)から何が出て来るか知れんぞと申して あろがな』
『…江戸(えど)と申すのは東京ばかりでは ないぞ、今のような(世界中の)都会 みな<穢土(えど)>(煩悩(ぼんのう)や欲望(よくぼう)に満(み)ちた けがれた世界)であるぞ、穢土(えど)は どうしても火の海ぞ。それより外(ほか) やり方ないと神々(かみがみ)様 申して居(お)られるぞよ』
『<富士>(東京)を目ざして攻(せ)め寄(よ)する、大船 小船 <天(あめ)の船>(航空機)、
赤鬼 青鬼 黒鬼や、<大蛇(オロチ)>(ロシアの事を霊的に あらわした表現) <悪狐(あくこ)>(金毛・九尾・白面(しらおもて)のキツネ→西側陣営の事を霊的に あらわした表現)を先陣(せんじん)に、寄(よ)せ来る敵は空(そら)おおひ、海を埋(うず)めて忽(たちま)ちに、天日(てんじつ) 暗くなりにけり、
折(お)りしも あれや<日の国>(日本)に、<一つの光り>(ニセ救世主)現われぬ、これこそ救(すく)ひの大神(おおかみ)と、救(すく)ひ求(もと)むる人々の、目に映(うつ)れるは何事(なにごと)ぞ、
攻(せ)め来る敵の大将の、大き光りと呼応(こおう)して、一度にドッと(火の)雨 降(ふ)らす、火の雨 何(なん)ぞ たまるべき、マコトの神は無きものか、これは たまらぬ ともかくも、命(いのち)あっての物種(ものだね)と、兜(かぶと)を脱(ぬ)がんとするものの、次から次に現われぬ、
折(お)りしも あれや時ならぬ、大風 起こり雨 来たり、大海原(おおうなばら)には竜巻(たつまき)や、やがて火の雨 地(つち) 震(ふる)ひ、<山>(富士山)は火を吹(ふ)き どよめきて、…』
『天も地も 一つに まぜし大嵐(おおあらし)、攻(せ)め来る敵は<駿河灘(するがなだ)>(関東・平野)、富士を境(さかい)に真二(まっぷた)つ、先(ま)づ切り取りて残(のこ)るもの、<七つに裂(さ)かん>(八つ裂(ざ)きにする)仕組なり。…寄(よ)せ来る敵は魂まで、一人 残(のこ)らずノウにする。…』
『…人間の浅(あさ)はかな考え方ぞ。考え違(ちが)いぞ。
この根本(こんぽん)を直(なお)さねばならん。霊界の通(とお)りになるのぢゃ』
『霊界に起(お)こった事が現界に起(お)こると申しても、そのまま移(うつ)るのでは ないぞ』
『月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空(そら)は血の色となるぞ、(川の)流れも血ぢゃ、人民(じんみん) 四つん這(ば)いやら、逆立(さかだ)ちやら、ノタウチに、一時(いちじ)は なるのであるぞ。
大地震(おおじしん)、火の雨 降(ふ)らしての<大洗濯(おおせんたく)>(大難による身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))であるから、一人 逃(のが)れようとて、神でも逃(のが)れる事は出来んぞ、天地(てんち) まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ』
『…動く事も引く事も、進む事も どうする事も出来ん事になりて、臣民(しんみん)は神が この世に ないものと いうようなるぞ、それからが、愈々(いよいよ) 正念場(しょうねんば)ぞ、マコトの神の民と獣(けもの)とをハッキリするのは それからぞ。…
…神の申す事、ちっとも違(ちが)わんぞ、間違(まちが)いの事なら、こんなに くどうは申さんぞ。…』
『神の臣民(しんみん)と獣(けもの)と立て分(わ)けると申して あろうが、…早(はよ)う改心(かいしん)して、身魂(みたま) 洗濯(せんたく) 致(いた)して、神の御用 つとめてくれよ。
大き声せんでも静(しず)かに 一言(ひとこと) 言えば判(わか)る臣民(しんみん)、一言(ひとこと) 言えば 十 知る臣民(しんみん)でないと、マコトの御用は つとまらんぞ。…よく この神示 読んで神の仕組、心に入れて、息吹(いぶき)として、言葉として世界 浄(きよ)めてくれよ』
『まだまだ悪魔は えらい仕組しているぞ、<神の国>(日本) 千切(せんぎ)りと申してあるが喩(たとえ)では ないぞ…。細(こま)かく説(と)いて やりたいなれど、細(こま)かく説(と)かねば分(わ)からんようでは神国の民とは言われんぞ。
…神の臣民(しんみん)には説(と)かいでも分(わ)かる身魂(みたま) 授(さず)けてあるぞ、それで身魂(みたま)みがいてくれと申してあるのぞ。…』
『…外国は みな<一つになりて>(2つになって総(そう)がかりで) <神の国>(日本)に攻(せ)め寄(よ)せて来るから、その覚悟(かくご)で用意しておけよ。
…どこから どんな事 出来るか、臣民には分(わ)かるまいがな、一寸(いっすん) 先も見えぬほど曇(くも)りて居(お)りて、それで神の臣民と思うているのか、畜生(ちくしょう)にも劣(おと)りているぞ。
…まだまだ落ち沈(しず)まねば本当(ほんとう)の改心(かいしん) 出来ん臣民 沢山(たくさん)あるぞ』
『<世界は 一つに>(東・西の両陣営が共(とも)に2つの敵に)なったぞ、<一つになって>(2つになって総(そう)がかりで) <神の国>(日本)に攻(せ)め寄(よ)せて来ると申してある事が出て来たぞ。
…くどう気つけておいた事の愈々(いよいよ)が来たぞ。
覚悟(かくご)は よいか、…神国の神の<力(ちから)>(”大いなる光りの存在”=霊的・高次元の絶対的・エネルギー) 現わす時が近(ちこ)うなりたぞ。
今 現わすと、助(たす)かる臣民(しんみん) 殆(ほとん)ど ないから、神は待てるだけ待ちているのぞ。
臣民(しんみん)も可愛(かわい)いが、元(もと)を潰(つぶ)す事ならんから、愈々(いよいよ)となりたら どんな事ありても、ここまで知らして あるのざから、神に手落(てお)ち あるまいがな。
愈々(いよいよ)となれば、判(わか)っている事なれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では なに馬鹿(ばか)なと申して取(と)り上(あ)げぬ事よく判(わか)っているぞ』
『…地震、雷ばかりでないぞ、臣民 アフンとして、…口あいたまま どうする事も出来ん事になるのぞ、
四ツン這(ば)いになりて着る物もなく、獣(けもの)となりて這(は)いまわる人と、…二つにハッキリ 分(わ)かりて来るぞ、獣(けもの)は獣(けもの)の生来(せいらい)いよいよ出すのぞ、
火と水の災難(さいなん)が どんなに恐(おそ)ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならん事になりたぞ。
一時(いちじ)は天も地も 一つに まぜまぜにするのざから、人 一人も生(い)きては居(お)れんのざぞ、…どこへ逃げても逃げ所(どころ)ないと申して あろがな…。
人間の戦(いくさ)や獣(けもの)のケンカ位(くらい)では何(なに)も出来んぞ、くどう気つけておくぞ、何よりも改心(かいしん)が第一ぞ』
『今度(こんど)は<借金(しゃっきん)>(悪因縁)なしになるまで やめれんから、誰(だれ)によらず<借金(しゃっきん)>(悪因縁)なくなるまで苦(くる)し行(ぎょう)せなならんぞ。<借金(しゃっきん)>(悪因縁)なしでないと、お土の うえには住(す)めん事に今度(こんど)は なるぞ』
『洗濯(せんたく)と申すのは何事(なにごと)によらん、人間心(にんげんしん) 捨(す)ててしもうて、知恵(ちえ)や学(がく)に頼(たよ)らずに、神の申す事 一つも疑(うたが)わず、生(う)まれ赤子(あかご)の うぶ心(ごころ)になりて、神の道 守(まも)る事ぞ。
身魂磨(みたまみが)きと申すのは、神から授(さず)かっている御霊(みたま)の命令(めいれい)に従(したご)うて、肉体心(にくたいしん) 捨(す)ててしもうて、神の申す事は背(そむ)かんようにする事ぞ。
学(がく)や智(ち)を力(ちから)と頼(たの)むうちは、身魂(みたま)は磨(みが)けんのざ』
『元(もと)の<大和魂(やまとだましい)>(神と人と解(と)け合った姿(すがた))に返れと申すのは、今の臣民(しんみん)には無理ぢゃな。無理でも、神に心 向ければ出来るのざぞ。どうしても今度は元(もと)の<キ>(生(き)→まじりけの無い純粋な事)のままの魂(たましい)に返らんと ならんのぞ』
『この道に入って始(はじ)めの あいだは、かえって損(そん)したり馬鹿(ばか)みたりするぞ。
それは<メグリ>(悪因縁(あくいんねん))取って頂(いただ)いているのぞ。それが すめば苦しくても どこかに光り見出(みいだ)すぞ。<お陰(かげ)>(神霊からの力添(ちからぞ)え)の始(はじ)め。
次に自信(じしん)ついてくるぞ。胴(どう)が すわってくるぞ。
心が勇(いさ)んで来たら、<お陰(かげ)>(神霊からの力添(ちからぞ)え) 大きく光り出したのぢゃ』
『この道に入ると損(そん)をしたり、病気になったり、怪我(けが)をする事が よくあるなれど、それは大難を小難にし、また<メグリ>(悪因縁(あくいんねん))が一時(いちじ)に出て来て、その<借銭(しゃくせん)>(悪因縁(あくいんねん)) 済(す)ましを させられているのぢゃ。
借(か)りたものは返さねばならん道理(どうり)ぢゃ。
損(そん)もよい、病気もよいぞと申して あろうが。
ここの道理(どうり)も弁(わきま)えず理屈(りくつ) 申しているが、そんな人民(じんみん)の機嫌取(きげんと)りする暇(ひま)は なくなったから、早(はよ)う神心(かみごころ)になって下されよ』
『<メグリ>(悪因縁(あくいんねん))と申すのは、自分の した事が自分に めぐって来る事であるぞ。
<メグリ>(悪因縁(あくいんねん))は自分で つくるのであるぞ。他を恨(うら)んでは ならん』
『自分の中に あるから近寄(ちかよ)って来るのであるぞ。
嫌(いや)な事 起(お)こって来るのは、嫌(いや)な事が自分の中に あるからぢゃ』
『何か迫(せま)り来るのは、何か迫(せま)り来るものが自分の中に あるからぞ。
内(うち)にあるから外(そと)から迫(せま)るのぢゃ。自分で呼び寄(よ)せているのぢゃ。
苦(くる)しみの神、<因果(いんが)>(悪因縁(あくいんねん))の神 呼んでおいて、<不足(ふそく)>(文句(もんく)) 申している者 多(おお)いのう。
自分で呼び寄(よ)せながら、嫌(いや)がってハネ返す手あるまいに』
『右の頬(ほお)を打(う)たれたら左の頬(ほお)を出せよ。
それが無抵抗で平和の元(もと)ぢゃと申しているが、その心根(こころね)を よく洗(あら)って見つめよ。
それは無抵抗では ないぞ、打(う)たれるようなものを心の中に もっているから打(う)たれるのぞ。…
笑って来る赤子(あかご)の無邪気(むじゃき)は打(う)たれんで あろうが。これが無抵抗ぞ…』
『<大峠(おおとうげ)>(大難による身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))の最中(さいちゅう)になったら、キリキリ舞(まい)して、助(たす)けてくれと押し寄(よ)せるなれど、…逆立(さかだ)ちして お詫(わ)びに来ても、どうする事も出来(でき)ん。
みな己(おのれ)の心(こころ)であるからぞ。今の内に改心(かいしん) 結構(けっこう)。
神の申す言葉が判(わか)らぬならば、天地(てんち)の在(あ)り方による動きを よく見極(みきわ)めて下されよ。…』
『行(ぎょう)は世界中の行(ぎょう)、誰(だれ) 一人 逃(のが)れるわけには いかんぞ。
<メグリ>(悪因縁(あくいんねん)) 果(は)たしたものから、嬉(うれ)し嬉(うれ)しになる仕組。
そなたの心配 一応(いちおう)は無理ないなれど、何処(どこ)で、どんな事を していても、身魂(みたま) 磨(みが)けてさえおれば、心配 なくなるぞ。心配は、磨(みが)けておらぬ証拠(しょうこ)ぞ』
『身魂(みたま) 磨(みが)けたら、どんな所で どんな事していても心配(しんぱい)ないぞ』
『…臣民(しんみん)に神 うつりて せねばならんのざから、マコトの世の元(もと)からの臣民(しんみん) 幾人(いくにん)もないぞ。みな曇(くも)りているから、これでは悪(あく)の神ばかり かかりて、だんだん悪(あく)の世になるばかりぞ…。…胸突(むなつ)き八丁(はっちょう)は それからぞ。
富士に登(のぼ)るのにも、雲(くも)の上(うえ)からが苦(くる)しいで あろがな、戦(いくさ)は雲(くも)の かかっているところぞ、頂(いただ)きまでの正味(しょうみ)の ところは それからぞ』
『神の国の神の道は大丈夫(だいじょうぶ)で あるなれど、日本・臣民(しんみん) 大丈夫(だいじょうぶ)とは申されんぞ。
その心の通(とお)りになる事 忘(わす)れるなよ、早(はよ)う身魂(みたま) 磨(みが)いてくれよ。
…どちらの臣民(しんみん)も見当(けんとう)とれん、どうする事も出来ん事になると知らして あろが、…それまでに、この神示 読んで、その時には どうするかという事 判(わか)りておらんと、(一厘の)仕組 成就(じょうじゅ)せんぞ』
『…臣民(しんみん)が本当(ほんとう)の つとめしたなら、どんなに尊(とうと)いか、今の臣民(しんみん)には見当(けんとう)とれまいがな。
神が御礼(おれい) 申すほどに尊(とうと)い仕事 出来る身魂(みたま)ぞ。
殊(こと)に<神の国>(日本)の臣民(しんみん) みな、マコトの光り現わしたなら、天地(てんち)が輝(かがや)いて悪(あく)の身魂(みたま)は目 あいておれん事になるぞ。
結構(けっこう)な血筋(ちすじ)に生(う)まれながら、今の姿(すがた)は何事(なにごと)ぞ。
神は いつまでも待てんから、いつ気の毒(どく) 出来るか知れんぞ』
『今の臣民(しんみん) 見て褒(ほ)めるような事は、みな奥(おく) 知れているぞ。
これが善(ぜん)である、マコトの やり方ぞと思っている事 <九 分(ぶ) 九 厘(りん)>(99%)までは みな悪(あく)の やり方ぞ。…』
『百人 千人 万人が善(よ)いと申しても、悪(わる)い事あるぞ。
一人の人 言っても神の心に添(そ)う事あるぞ』
『これからが愈々(いよいよ) 厳(きび)しくなるぞ…。愈々(いよいよ)となりたら神が臣民に うつりて手柄(てがら)さすなれど、今では軽石(かるいし)のような臣民ばかりで神 かかれんぞ。早(はよ)う神の申す事 よく聞いて、生(う)まれ赤子(あかご)の心になりて神の容(い)れものになりてくれよ。
一人 改心(かいしん)すれば千人 助(た)かるのぞ。今度は千人力(せんにんりき) 与(あた)えるぞ』
『神 憑(か)かれる肉体たくさん要(い)るのぞ。
今度(こんど)の行(ぎょう)は<ミ>(身(み))を綺麗(きれい)にする行(ぎょう)ぞ。
<掃除(そうじ)>(身魂磨き) 出来た臣民(しんみん)から楽(らく)になるのぞ。
どこに居(お)りても<掃除(そうじ)>(身魂磨き) 出来た臣民(しんみん)から善(よ)き御用に使って、神から御礼(おれい) 申して、末代(まつだい) 名の残(のこ)る手柄(てがら) 立てさすぞ。
神の臣民(しんみん)、<掃除(そうじ) 洗濯(せんたく)>(身魂磨き) 出来たら この戦(いくさ)は勝(か)つのぞ、今は <一 分(ぶ)>(1%)もないぞ、<一 厘(りん)>(0.1%)もないぞ。
…足元(あしもと)からビックリ箱(ばこ)が開いて、四ツん這(ば)いになっても助(たす)からぬ事になるぞ。穴(あな) 掘(ほ)りて逃(に)げても、土もぐっていても、灰になる身魂(みたま)は灰ぞ、どこに居(い)ても助(たす)ける臣民(しんみん) 行って助(たす)けるぞ。
神が助(たす)けるのでないぞ、神 助(たす)かるのぞ、臣民(しんみん)も神も一緒(いっしょ)に助(たす)かるのぞ。この道理(どうり) よく肚(はら)に入れておいてくれよ。
この道理(どうり) 判(わか)りたら、神の仕組は だんだん判(わか)りて来て、何(なん)という有り難(がた)い事かと心が いつも春(はる)になるぞ』
『…早(はよ)う身魂(みたま) 磨(みが)いて恐(こわ)いもの ないようになりて おいてくれよ。…
<マツリ>(神と人と まつろい合った姿(すがた))第一と申すのざ。神のミコトに聞けよ。
それには どうしても身魂(みたま) 磨(みが)いて神 憑(か)かれるように ならねばならんのざ。
神憑(かみが)かりと申しても、そこらに御座(ござ)る天狗(てんぐ)や狐(きつね)や狸(たぬき)つきでは ないぞ。マコトの神憑(かみが)かりであるぞ』
『まだまだ敵(てき) 出て来るなれど、神心(かみごころ)になれば敵(てき)、敵(てき)で なくなるぞ。
敵(てき) 憎(にく)んでは ならんぞ、敵(てき)も神の働(はたら)きぞ』
『神の守護(しゅご)と申すものは、人民(じんみん)からは ちっとも判(わか)らんのであるぞ。
判(わか)るような守護(しゅご)は低い神の守護(しゅご)ざぞ、悪神の守護(しゅご)ざぞ。
悪神でも大将の守護(しゅご)ともなれば、人民(じんみん)には判(わか)らんのざぞ。心(こころ)せよ』
『…霊人(れいじん)と和合(わごう)しているから、神憑(かみが)かりで あるからこそ、<三千・世界>(神界(しんかい)、幽界(ゆうかい)、現界の3界)に働(はたら)き栄(さか)えるのぢゃぞ。神界(しんかい)の事も判(わか)る道理(どうり)ぢゃ。幽界(ゆうかい)の事も判(わか)る道理(どうり)ぢゃ。
人間の言う神憑(かみが)かりとは、幽界(ゆうかい)の神憑(かみが)かりぢゃ。ろくな事 ないのぢゃ。
神憑(かみが)かりでも、神憑(かみが)かりと判(わか)らん神憑(かみが)かり結構(けっこう)ぢゃなあ、マコトぢゃなあと知らしてあるのに まだ判(わか)らんのか』
『いつでも神憑(かみか)かれるように、神憑(かみか)かっているように、神憑(かみか)かっていても、我(われ)にも他にも判(わか)らぬようになりて下されよ。
鍬(くわ)とる百姓(ひゃくしょう)が己(おのれ)を忘(わす)れ、大地を忘(わす)れ、鍬(くわ)を忘(わす)れている境地(きょうち)がマコトの御魂鎮(みたましず)めであり神憑(かみが)かりであるぞ』
『岩戸(いわと) 開(ひら)くと申しても、それぞれの岩戸(いわと)あるぞ、大工(だいく)は大工(だいく)の岩戸(いわと)、左官(さかん)は左官(さかん)の岩戸(いわと)と、それぞれの岩戸(いわと)あるから、それぞれ身魂(みたま) 相当(そうとう)の岩戸(いわと) 開(ひら)いてくれよ』
『…百姓(ひゃくしょう)は百姓(ひゃくしょう)、鍛冶(かじ)は鍛冶(かじ)と、今度(こんど)は永久(とことわ)に定(さだ)まるのざぞ。身魂(みたま)の因縁(いんねん)によりて今度(こんど)は ハッキリと定(さだ)まって動かん神の世とするのぞ』
『その人によって ふさわしい行(ぎょう)がある。誰(だれ)でも同じでない。
一合(いちごう) 食べる人もあれば、一升(いっしょう) 食べる人もあるぞ』
『どんな草でも木でも、その草木(くさき)でなければならん御用あるぞ。だから生(い)きているのぢゃ。
その働(はたら)き御用 忘(わす)れるから苦(くる)しむ。行き詰(づ)まる。
御用 忘(わす)れるから滅(ほろ)びるのぢゃ。
個人は個人の、一家は 一家の、国は国の御用がある。御用 大切(たいせつ)、御用 結構(けっこう)』
『まず己(おのれ)の仕事せよ。五人 分(ぶん)も十人 分(ぶん)も精(せい) 出せと申してあろ、五人 分(ぶん) 仕事すれば判(わか)りてくるぞ。
仕事とは嘉事(よごと)であるぞ。仕事せよ、仕事 仕(つか)えまつれよ、それが神の御用ざぞ。
神の御用ざと申して仕事 休んで狂人(きょうじん)の真似(まね)に落ちるでないぞ。
静(しず)かに一歩 一歩 進(すす)めよ、急(いそ)がば廻(まわ)れよ、一足飛(いっそくと)びに二階には あがれんぞ。今の仕事、悪(わる)いと知りつつするのは なお悪(わる)いぞ。
仕事、仕事と神に祈(いの)れよ、(心(しん)、言(ごん)、行(ぎょう)が3つとも揃(そろ)って)祈(いの)れば仕事あたえられるぞ、(心(しん)、言(ごん)、行(ぎょう)の3つとも実践(じっせん)して)祈(いの)れ祈(いの)れと くどう申して あろが。
善(よ)き心(こころ)、善(よ)き仕事 生(う)むぞ。嘉事(よごと) 生(う)むぞ。
この道理(どうり)まだ判(わか)らんのか、神に くどう申さすでないぞ』
『そなたの仕事(しごと)、思いつき結構(けっこう)であるが、神の御意志(ごいし)を頂(いただ)かねば成就(じょうじゅ)せん。神と申しても、そなたが勝手(かって)に決(き)めた神や、宗教(しゅうきょう)で固(かた)めた制限(せいげん)された神では ないぞ。
判(わか)っただけでは駄目(だめ)ぞ。行(ぎょう)じねばならん。生活(せいかつ)しなければならん』
『一足(いっそく) 飛びには いかん。一歩 一歩と申して あろう。
一度に神様を知りたいと申しても そうは いかん。一年生からぢゃ。出直(でなお)し出直(でなお)し。
子供に大学の事は判(わか)らん。十貫(じゅっかん)の荷物(にもつ)は かつげん道理(どうり)。
進むには、それ相当(そうとう)の苦労(くろう)と努力(どりょく) 要(い)るぞ。
あぐらかいて、懐手(ふところで)していては出来ん。時も要(い)るぞ。金(かね)も要(い)るぞ。汗(あせ)も要(い)るぞ。血も要(い)るぞ。涙(なみだ)も要(い)るぞ。善(よ)いものほど値(ね)が高い』
『そなたの苦労(くろう)は取り越(こ)し苦労(くろう)。
心配(こころくば)りは忘(わす)れてならんなれど、取り越(こ)し苦労(くろう)、過(す)ぎ越(こ)し苦労(くろう)は要(い)らん。そうした苦労(くろう)は、そうした霊界(れいかい)を つくり出して、自分自身が要(い)らぬ苦労(くろう)をするぞ。
何事(なにごと)も神に まかせよ。そなたは まだ神業(しんぎょう)の取り違(ちが)いして御座(ござ)るぞ。そなたの現在あたえられている仕事が神業(しんぎょう)であるぞ。
その仕事を より善(よ)く、より浄化(じょうか)するよう行(ぎょう)じねばならんぞ。
つとめた上(うえ)にも つとめねばならん。それが御神業(ごしんぎょう)であるぞ』
『出(だ)し切(き)ってしまうと味(あじ)が なくなるぞ。自分の力が隠(かく)せぬようでは大仕事は出来んぞ。…現在の仕事が御神業(ごしんぎょう)と心得(こころえ)よ。不満(ふまん)を持っては ならん。
そなたが(前世(ぜんせ) 又は 現世(げんせ)で自分自身の おこないが作(つく)ったカルマンによって)招(まね)いた<仕事>(身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))でないか。
この道理(どうり) 判(わか)らねば、迷信(めいしん)の迷路(めいろ)に入るぞ』
『次の御用は神示 うつす事ぢゃ。神示 うつすとは、神示を人間に、世界に うつす事ぞ。
神示を中心(ちゅうしん)とした世界の働(はたら)きせよ。<キ>(神の魂(たましい))通(とお)した人間の仕事 仕(つか)えまつれよ。神示 <キ>(元(もと)の魂(たましい))とした世界 つくる事ぞ。
神示に囚(とら)われるから判(わか)らん。…仕事に神示 生(い)かして生活(せいかつ)せよ。
生活(せいかつ)が神示ぢゃ。判(わか)りたか。早(はよ)う次の御用 急(いそ)いで下されよ。
宗教(しゅうきょう)に生(い)きて宗教(しゅうきょう)に囚(とら)われるでないぞ。
仕事が宗教(しゅうきょう)ぢゃ。小さい事から始(はじ)めよ。
小乗(しょうじょう)の行(ぎょう)と馬鹿(ばか)にするでないぞ。
小乗(しょうじょう)の行(ぎょう)から大乗(だいじょう)の真理(しんり)を つかむのであるぞ』
『この世の仕事(しごと)が あの世の仕事(しごと)。
この道理(どうり) 判(わか)らずに、この世の仕事(しごと) 捨(す)てて、神の為(ため)ぢゃと申して飛び廻(まわ)る鼻高(はなだか)さん、ポキンぞ。仕事(しごと) 仕(つか)えまつれよ』
『道は自分で歩(あゆ)めよ。御用は自分で つとめよ。人が さがしてくれるのでないぞ、自分で御用するのぞ。
道は自分で開(ひら)くのぞ。人 頼(たよ)りては ならんぞ』
『仕事は神が与(あた)えたり、人が与(あた)えてくれるのでないぞ。自分自身が仕事にならねばならん。
この道理(どうり)さえ判(わか)れば失業(しつぎょう)は ないぞ。自分が仕事ぢゃからのう』
『人に知(し)れんように善(よ)い事 つとめと申して あろが。人に知(し)れんようにする善(よ)い事 神心(かみごころ)ぞ。神のした事になるのざぞ』
『他の為(ため)に<苦労(くろう)する>(働(はたら)く)事は喜びであるぞ。
全体(ぜんたい)の為(ため)に<苦労(くろう)する>(働(はたら)く)事は喜びぞ』
『公(おおやけ)の事に働(はたら)く事が己(おのれ)のため働(はたら)く事。大の動き為(な)すために小の動き為(な)し、小の動き為(な)すために個(こ)の動き為(な)すのであるぞ。…』
『日々(ひび)の人間の御用を神の御用と和(わ)すように、神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのがマコトの道であり、弥栄(いやさか)の道であり、大歓喜(だいかんき)であるぞ』
『それは そなたの自己欲(じこよく)から出ているぞ。自己欲(じこよく)も なくては ならんが、段々(だんだん) 浄化(じょうか)して行(ゆ)かねばならん。
浄化(じょうか)して大き自己(じこ)の欲(よく)とせよ。自分のみの欲(よく)となるから弥栄(いやさか)えんのぢゃ。弥栄(いやさか)えんもの神の心に逆行(ぎゃっこう)』
『禁欲(きんよく)は神の<御旨(みむね)>(ご意志(いし))でないぞ。
欲(よく)を浄化(じょうか)して、生(う)めよ、産(う)めよ。
今の人民(じんみん)、欲(よく)の聖化(せいか)を忘(わす)れて御座(ござ)るぞ。
欲(よく)は無限(むげん)に拡(ひろ)がり、次々に新しきもの生(う)み出すぞ。
欲(よく)を導(みちび)けよ自分だけなら 五 尺(しゃく)の身体(しんたい)、五十年の生命であるが、霊(れい)を知り、宇宙の意志(いし)を知り、神に融(と)け入(い)ったならば、無限大(むげんだい)の身体(しんたい)、無限(むげん)の生命となるぞ。
マコトの嬉(うれ)し嬉(うれ)しの喜びとなるのであるぞ』
『苦労(くろう)、苦労(くろう)と申しても、悪(わる)い苦労(くろう) 気の毒(どく)ざぞ。
善(よ)き苦労(くろう) 花 咲(さ)くぞ。花 咲(さ)いて実(み) 結(むす)ぶのざぞ。
人民(じんみん) 苦(くる)しみさえすれば よいように早合点(はやがてん)しているなれど、それは大間違(おおまちが)いさぞ。…』
『身魂(みたま) 磨(みが)きとは、善(よ)いと感じた事 直(ただ)ちに行(おこな)う事ぞ』
『そなたは御神業(ごしんぎょう)ぢゃと申して、他に(幽界的(ゆうかいてき),動物的な独(ひと)りよがりの低級(ていきゅう)な自己欲(じこよく)によって)迷惑(めいわく)かけているでないか。
そこから改(あらた)めねばならん。鼻(はな)つまみの御神業(ごしんぎょう)は ないのであるぞ』
『…思うように運(はこ)ばなかったら省(かえり)みよ。己(おのれ)が己(おのれ)に騙(だま)されて、己(おのれ)のためのみに為(な)している事に気づかんのか。それが善であっても、己(おのれ)のためのみならば死し、全のための善ならば弥栄(いやさか)えるぞ。善にも外道(げどう)の善あるぞ。心せよ』
『そなたの もつ悪いクセを直(なお)して下されよ。それが御神業(ごしんぎょう)ぢゃ。
神々(かみがみ)様も自分のクセを直(なお)すために ご苦労(くろう)なさっているぞ。
そのために成長(せいちょう)する。昨日(きのう)の自分であっては ならんぞ。六十の手習(てなら)いで止(と)まっては ならん。死ぬまで、死んでも手習(てなら)いぢゃ』
『世は神界(しんかい)から乱(みだ)れたのであるぞ。人間界(にんげんかい)から世 立て直(なお)して、地(くに)の岩戸(いわと)、人間が開(ひら)いて みせるというほどの気迫(きはく)なくては ならんのざぞ。その気迫(きはく) 幸(さち)わうのざぞ。岩戸(いわと) 開(ひら)けるぞ』
『勇(いさ)んで やって下されよ。勇(いさ)むところ、この方 力添(ちからぞ)え致(いた)すぞ。
心配顔(しんぱいがお) この方 嫌(きら)いぞ。歌(うた) 唄(うた)い下されよ。笑いて下されよ。
笑えば岩戸(いわと) 開(ひら)けるぞ』
『何事(なにごと)が起(お)こっても、そなたは まず喜べよ。
それが苦(くる)しい事でも、悲(かな)しい事でも、喜んで迎(むか)えよ。
喜ぶ心は喜び生(う)むぞ。人民(じんみん) 喜べば、神 喜ぶぞと申して あろが。…』
『苦(くる)しむと曲(ま)がるぞ。楽(たの)しむと伸(の)びるぞ。
この方 苦(くる)しむ事 嫌(きら)いぢゃ。苦(く)を楽(たの)しみて下されよ』
『この先(さき)もう立て替(か)え出来んギリギリの今度(こんど)の<大立て替(か)え>(大難による身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))ぢゃ。
愈々(いよいよ)の大立て替(か)えざから、もとの神代(かみよ)よりも、も 一つ<キ>(魂(たましい))の光り輝(かがや)く世とするのぢゃから、中々に大層(たいそう)ざぞ。
人民 苦(くる)しかろうが、先(さき) 楽(たの)しみに御用 見事(みごと) つとめ上(あ)げて下されよ』
『人民 マコトと申すと何(なに)も形(かたち)ないものぢゃと思っているが、マコトが元(もと)ざぞ。
<タマ>(魂(たま))と<コト>(物(もの))合わして<マツリ>(神と人と まつろい)合わせてマコトと申すのぢゃ。<ミ>(身(み))と<キ>(魂(たましい))を<マツリ>(まつろい合わせ)たものぢゃ。物(もの)なくては ならんぞ、<タマ>(魂(たま))なくては ならんぞ。
マコト 一つの道ざと申して あろがな。判(わか)りたか。身魂(みたま) 相当(そうとう)に取りて、思うよう やりてみよ。行(ぎょう) 出来れば その通(とお)り行くのぢゃ。神に気に入らん事 スコタンばかりぢゃから、引っ込(こ)み思案(じあん)せずに堂々(どうどう)と やりて下されよ』
『あれなら日月(ひつき)の民ぞと世間(せけん)で言うような行(おこ)ない せねばならんぞ』
『人から見て あれならばと言うようになれば、この方の光り出るのぢゃ。
行(ぎょう) 出来ねば お出直(でなお)し。お出直(でなお)し多(おお)いなあ』
『この世に生(う)まれて、この世の行(ぎょう)せねば、生(う)まれた時より悪(わる)くなるぞ。
草木(くさき)より役に立たんものとなるぞ。草木(くさき)に変えると申して あろう。
神が変えるのでない。自分で なり下(さ)がるのであるぞ。判(わか)りたか』
『<不和(ふわ)>(幽界的,動物的な心(しん)、言(ごん)、行(ぎょう)を出し合っている低級な身魂)の<家>(人、家庭、グループなど)、不和(ふわ)の国の捧(ささ)げもの、神は要(い)らんぞ。
喜(よろこ)びの捧(ささ)げもの、コメ 一粒(ひとつぶ)でもよいぞ。神は嬉(うれ)しいぞ』
『夫婦(ふうふ)ケンカするでない。夫のみ いかんのでない。妻のみ悪(わる)いのでないぞ。
お互(たが)いに己(おのれ)の姿(すがた)を出し合っているのぞ。よく会得(えとく)せよ』
『家内(かない) 和合(わごう) 出来んようでは、この道の<取(と)り次(つ)ぎ>(信者(しんじゃ))とは申されんぞ。和が元(もと)ざと申して あろうが。和合(わごう) 出来ぬのは トラとシシぞ。
どちらにも<メグリ>(悪因縁(あくいんねん))あるからぞ』
『出足(であし)の港(みなと)は夫婦(ふうふ)の道からぢゃと申して あろう。
これが乱(みだ)れると世が乱(みだ)れるぞ』
『改心(かいしん)すれば<型(かた)>(身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう)) 小さくて済(す)むなれど、<掃除(そうじ)>(身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう)) 大きくなるぞ。
…臣民(しんみん)の<掃除(そうじ)>(身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう)) 遅(おく)れると、段々(だんだん) 大きくなるのざぞ』
『言うだけで聞けば、実地(じっち)に出さんでも よいのぢゃ。実地(じっち)には出したく ないのぢゃ。
この道理(どうり)、よく悟(さと)りてくれよ。実地(じっち)に出しては人民(じんみん) 可哀想(かわいそう)なから、こらえこらえて くどう申しているうちに、早(はよ)う悟(さと)りて下されよ』
『…いくら言い聞かしても後戻(あともど)りばかりぢゃ。
言い聞かして改心(かいしん) 出来ねば、改心(かいしん)するよう致(いた)すより もう手ないように なっているのざ。いつどんな事あっても神は知らんぞ』
『どちらの国も潰(つぶ)れるところまでになるのぞ。
臣民(しんみん)・同士(どうし)は、もう戦(いくさ) かなわんと申しても、この仕組 成就(じょうじゅ)するまでは、神が戦(いくさ)は やめさせんから、神が やめる訳(わけ)には いかんから、今やめたら まだまだ悪(わる)くなるのぞ…。
…早(はよ)う戦(いくさ) 済(す)ませてくれと申しているが、いま夜(よ) 明(あ)けたら、臣民(しんみん) <九 分通(ぶどお)り>(90%) なくなるぞ。
<お洗濯(せんたく)>(身魂磨(みたまみが)き) 第一 ざぞ』
『神示で知らしただけで得心(とくしん)して改心(かいしん) 出来れば、大難は小難となるのぢゃ。
やらねばならん。戦(いくさ)は碁(ご)、将棋(しょうぎ)くらいの戦(いくさ)で済(す)むのぢゃ。
人民の心(こころ) 次第(しだい)、行(おこな)い次第(しだい)で空まで変わると申して あろがな。
この道理(どうり) よく心得(こころえ)なさりて…、無理と思う事も貫(つらぬ)きて下されよ』
『大難を小難にする事は出来るのであるが、無くす事は出来ん』
『神の申す事 違(ちが)ったでは ないかと申す臣民も今に出て来るぞ、神は大難を小難に まつりかえているのに判(わか)らんか、えらい むごい事 出来るのを小難にしてある事 判(わか)らんか、ひどい事 出て来る事 待ちているのは邪(じゃ)の身魂(みたま)ぞ、そんな事では神の臣民とは申されんぞ。
臣民は神に、悪い事は小さくしてくれと毎日 お願(ねが)いするのが務(つと)めぞ』
『今までは、神が世に落(お)ちて人が神になりて おりたのぞ。これでは世は治(おさ)まらんぞ、神が上(うえ)で、臣民(しんみん)、人民(じんみん) 下(した)に おらねばならんぞ』
『臣民(しんみん)に判(わか)るように言うなれば、身も心も神の ものざから、毎日 毎日 神から頂(いただ)いた ものと思えば よいのであるぞ、それで その身体(しんたい)を どんなにしたら よいかという事 判(わか)るで あろうが。夜(よる)になれば眠(ねむ)った時は神に お返(かえ)ししているのざと思え。
それで よく判(わか)るで あろうがな。身魂(みたま) 磨(みが)くと申す事は、神の入れ物として、神から お預(あず)かりしている、神の最も尊(とうと)い とことして お扱(あつか)いする事ぞ』
『目 覚(さ)めたら その日の生命 お預(あず)かりした事に感謝(かんしゃ)し、その生命を神の御心(みこころ)の ままに弥栄(いやさか)に仕(つか)えまつる事に祈(いの)れよ。…
明日の事に心 使うなよ。心は配(くば)れよ。取(と)り越(こ)し苦労(くろう)するなよ。
心配(こころくば)りは せなならんぞ。…神の生命、神の肉体と なり切(き)れよ。何もかも捨(す)て切(き)らねばならんぞ。天地(てんち)みな神の ものぞ。天地(てんち)みな己(おのれ)の ものぞ。…』
『礼拝(れいはい)を忘(わす)れ、祈(いの)りを忘(わす)れる事は、神を忘(わす)れる事ぢゃ。
そなたの住(す)む段階(だんかい)では、祈(いの)り畏(かしこ)み謹(つつし)んで実践(じっせん)しなければならんぞ。…』
『祈(いの)る事は結構(けっこう)で あるなれど、祈(いの)るばかりで ものごと成就(じょうじゅ)せんぞ。為(な)すには まず祈(いの)らねばならんが、そなたは そなたの神にのみ祈(いの)っているぞ。
為(な)すのは己(おのれ)であるから、己(おのれ)に祈(いの)らねばならんぞ。
己(おのれ)に祈(いの)りたあと、己(おのれ)が為(な)さねばならんぞ。
乳房(ちぶさ) 与(あた)えられても自分で吸(す)わねば自分の身には つかぬ道理(どうり)ぢゃ。
だが、為(な)したのみでは まだ足(た)らんぞ。時々(ときどき)は省(かえり)みねばならんぞ。
そなたは形(かたち)や口先(くちさき)ばかりで ものを拝(おが)んでいるが、心(こころ)と行(ぎょう)と口と三つ揃(そろ)わねばならん。…』
『為(な)すとは祈(いの)る事。人の為(ため)に祈(いの)るは、己(おのれ)の為(ため)に祈(いの)る事。今の人民(じんみん)、祈(いの)り足(た)らん』
『そなたは祈(いの)りが足(た)らんぞ。祈(いの)りとは心(こころ)で祈(いの)り願(ねが)う事でないぞ。実行(じっこう)せねばならん。地上人(ちじょうじん)は物としての行動(こうどう)を しなければならんぞ。口と心(こころ)と行(ぎょう)と三つ揃(そろ)わねばと申してある事、忘れたか』
『真剣(しんけん)で求めると、真剣(しんけん) 授(さず)かるぞ。
求(もと)めるとは祈(いの)る事。…日々(ひび)の祈(いの)りは行(ぎょう)であるぞ。
百年 祈(いの)り続(つづ)けても、祈(いの)りだけでは何(なに)もならん。
それは祈(いの)り地獄(じごく)ぢゃ。祈(いの)り地獄(じごく) 多(おお)いのう。
肉体人(にくたいじん)は肉体の<行(ぎょう)>(行動) せねばならん。
日々(ひび)の祈(いの)り結構(けっこう) 致(いた)してくれよ。
次の祈(いの)りは省(かえり)みる事ぞ。いくら祈(いの)り行(ぎょう)じても、自分 省(かえり)みねば、千年 行(ぎょう)じても何(なに)もならん道理(どうり)ぢゃ。
同じ山に登(のぼ)ったり降(お)りたり、ご苦労(くろう)の事、馬鹿(ばか)の散歩(さんぽ)と申すもの。
悔(く)い改(あらた)めよと申して あろう。…』
『自分のためばかりの祈(いの)りには、自分だけの神しか出て来ない。悪の祈(いの)りには悪の神。善(ぜん)の祈(いの)りには善(ぜん)の神。初(はじ)めの あいだは なかなか判(わか)らんものぢゃ。
神様の なされるマネから初(はじ)めて下されよ』
『その時、その人間の<キ>(気)に相応(そうおう)した神より拝(おが)めん。悪い<キ>(気)で拝(おが)めば、どんな立派(りっぱ)な神前(しんぜん)でも悪神が感応(かんおう)するのぢゃ。
悪神 拝(おが)んでも正(ただ)しき愛と喜びあれば、善(よ)き念(ねん)が通(つう)ずるならば、悪神 引(ひ)っ込んで、それぞれの善(よ)き神 現われるのぢゃ。この道理(どうり) よく心得(こころえ)よ』
『人が きかねば神ばかりで始(はじ)めるぞ。神ばかりで洗濯(せんたく)するのは早(はや)いなれど、それでは臣民(しんみん)が可哀想(かわいそう)なから、臣民(しんみん) 皆 やり直(なお)さねばならぬから、気を付けているのに何しているのざ、いつどんな事あっても知らんぞ』
『実地(じっち)の<大峠(おおとうげ)>(大難による身魂磨きのための行)の いよいよとなったら、もう堪忍(かんにん)してくれと どんな臣民も申すぞ、人民には実地(じっち)に目に物 見せねば得心(とくしん)せぬし、実地(じっち)に見せてからでは助(たす)かる臣民 少ないし、神も閉口(へいこう)ぞ。
ひどい所ほど身魂(みたま)に<借銭(しゃくせん)>(悪因縁(あくいんねん))あるのぢゃぞ、身魂(みたま)の悪(あし)き事している国ほど、厳(きび)しき戒(いまし)め致(いた)すのであるぞ』
『この神の申す事 よく肚(はら)に入れて、もう かなわんと申す所こらえて、また かなわんと申す所こらえて、愈々(いよいよ)どうにもならんという所こらえて、頑張(がんば)りて下されよ。
…何処(どこ)までも、死んでも頑張(がんば)りて下されよ…神の臣民殿(しんみんどの)、こらえ こらえてマコト何処(どこ)までも貫(つらぬ)きて下されよ、…
日本に手柄(てがら)さして、神の臣民(しんみん)に手柄(てがら)たてさせて、神から厚(あつ)く御礼(おれい) 申して よき世に致(いた)すのであるぞ、腹帯(はらおび)しっかり締(し)めてくれよ。
重(かさ)ねて神が臣民殿(しんみんどの)に たのむぞよ、守護神殿(しゅごしんどの)に たのむぞよ』
『…どえらい事 出て来て日本の国は愈々(いよいよ) 潰(つぶ)れたと いうところへなって来るから、皆がマコトの神魂(かみたましい)になって来んとマコトの神は出ないのざぞ、マコトある所へ マコトの神 働(はたら)くと申して あろが、マコトない所へ働(はたら)く神は悪神ぢゃぞ、よう気つけてくれよ』
『…神の御用に使う臣民(しんみん) <一 分(ぶ)>(1%)もないのざぞ。神の国が勝(か)つばかりでは ないのざぞ、世界中の人も、草も、動物も助(たす)けて みな喜(よろ)ぶように せなならんのざから、…神世に致(いた)すのざから、素直(すなお)に神の申す事 聞くが 一等(いっとう)ざぞ。
人間の知恵(ちえ)で やれるなら、やってみよれ、あちらへ外(はず)れ、こちらへ外(はず)れ、ぬらりくらりと鰻(うなぎ)つかみぞ、思うようには なるまいがな、
<神の国>(日本)が本(もと)の国ざから、<神の国>(日本)から改(あらた)めるのざから、一番つらい事になるのざぞ、覚悟(かくご)は よいか、腹(はら)さえ切(き)れぬようなフナフナ腰(ごし)で…。』
『<地(くに)つちの軸(じく)>(地球の自転軸) 動くぞ、フニャ・フニャ腰(ごし)がコンニャク腰(ごし)になりて どうにも こうにも ならん事になるぞ、その時 この神示、心棒(しんぼう)に入れてくれよ、百人に 一人 位(くらい)は何(なん)とか役に立つぞ、あとは コンニャクの お化(ば)けざぞ』
『マコトの者は千人に 一人ざぞ、…今のうちに神の申す事 聞いて、神国は神国の やり方にしてくれよ。
人の殺し合いばかりでは ケリつかんのざぞ、…トコトンのとこまで行くのざから神も総活動(そうかつどう)ざぞ、臣民(しんみん) 石に かじりついても やらねばならんぞ、そのかわり今後(こんご)は万劫・末代(ばんごう・まつだい)の事ざから、いつまでも変わらんマコトの神徳(しんとく) 与(あた)えるぞ。
言われぬ事、神示(しんじ)に出せぬ事も知らす事あるぞ』
『上(じょう)、中(ちゅう)、下(げ)、の 三 段(だん)に身魂(みたま)を より分(わ)けてあるから、神の世となりたら何事(なにごと)もキチリ・キチリと面白(おもしろ)いように出来て行くぞ。
神の世とは、神の心(こころ)のままの世ぞ、今でも臣民(しんみん) 神心(かみごころ)になりたら、何(なん)でも思う通(とお)りになるぞ。
臣民(しんみん) 近慾(ちかよく)なから、心(こころ) 曇(くも)りているから判(わか)らんのぞ』
『…疑(うたが)うから途中(とちゅう)からガラリと変わるのざぞ。
折角(せっかく) 縁(えん)ありて来た人民(じんみん)ぢゃ、神は <お陰(かげ)>(神霊からの力添(ちからぞ)え)やりたくて うづうづざぞ、…何故(なぜ) <手を出さん>(身魂(みたま)を磨(みが)かん)のぢゃ、<大き器(うつわ)>(磨(みが)けた身魂(みたま)) 持ちて来んのぢゃ。
神示 聴(き)きて居(お)ると身魂(みたま) 太(ふと)るぞ、身魂(みたま) 磨(みが)けるぞ』
『三 分(ぶん)の 一の人民(じんみん)になると、早(はよ)うから知らして ありた事の実地(じっち)が始(はじ)まっているのであるぞ。
何もかも 三 分(ぶん)の 一ぢゃ、<大掃除(おおそうじ)>(大難による身魂磨(みたまみが)きのための行(ぎょう))して残(のこ)った 三 分(ぶん)の 一で、新しき御代(みだい)の礎(いしずえ)と致(いた)す仕組ぢゃ、
<三 分(ぶ)>(3%)むづかしい事になっているのを、天の神に お願(ねが)い申して、一人でも多く助(たす)けたさの日夜(にちや)の苦心(くしん)であるぞ、堪忍(かんにん)の堪忍(かんにん)、我慢(がまん)の我慢(がまん)であるぞ』
『日月(ひつき)の民を練(ね)りに練(ね)り、大和魂(やまとだましい)の種(たね)にするのであるぞ。
日月(ひつき)の民とは日本人ばかりでないぞ、大和魂(やまとだましい)とは神の魂(たましい)ぞ、<マツリ>(神と人と まつろい合った姿)の魂(たましい)ぞ、取り違(ちが)いせんように気つけ おくぞ』
『今の世に、よきように説(と)いて聞かして、七・七(しち・しち)、四十九人、三百四十三人、二千四百一人の(額(ひたい)に ”神の印(いん)”が押された純金(じゅんきん)のランクの)信者 早(はよ)う つくれよ。信者は光りぞ。それが出来たら足場(あしば) 出来るのざぞ』
『早(はよ)う足場(あしば)つくれと申して あろがな。三千の足場(あしば)つくったら、神の光り出ると申して あろうがな。足場(あしば)つくれよ。…足場(あしば)なくては何(なに)も出来ん道理(どうり)、人間にも判(わか)ろうがな、何より足場(あしば) 第一 ざぞ』
『心(こころ) 出来たら、足場(あしば) 固(かた)めねばならん。神の足場(あしば)は 人ぢゃ。三千の足場(あしば)。五千の足場(あしば)』
『神示 判(わか)る臣民 <二 三 分(ぶ)>(2〜3%)できたなら、神、いよいよの とどめ さすなり』
『一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠に動かぬ道の事ぞ。
三四五(みよいづ)の仕組とは、御代出(みよい)づの仕組ぞ。御代出(みよい)づの仕組とは、神の御代(みよ)になる事ぞ。この世を神の国に練(ね)り上(あ)げる事ぞ。
神 祀(まつ)りたら三四五(みよいづ)の御用に かかるから、そのつもりで用意(ようい)しておいてくれよ』
『一二三(ひふみ)の仕組が済(す)みたら三四五(みよいづ)の仕組と申してありたが、世の元(もと)の仕組は三四五(みよいづ)の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ。
五六七(みろく)の仕組とは、弥勒(みろく)の仕組の事ぞ』
『世界中が攻(せ)め寄(よ)せたと申しても、マコトには勝てんのであるぞ。
マコトほど結構(けっこう)なものないから、マコトが神風(かみかぜ)であるから、臣民(しんみん)にマコト なくなりていると、どんな気の毒(どく) 出来るか判(わか)らんから、くどう気つけて おくのざぞ』
『…身魂(みたま)を不断(ふだん)に磨(みが)いて、一筋(ひとすじ)の誠(まこと)を通(とお)してくれよ。いま 一苦労(ひとくろう)あるが、この苦労(くろう)は身魂(みたま)を磨(みが)いて おらぬと越(こ)せぬ、この世 始(はじ)まって二度とない苦労(くろう)である』
『今度(こんど)の行(ぎょう)は世界の臣民(しんみん) 皆、二度とない行(ぎょう)であるから厳(きび)しいのぞ。この行(ぎょう) 出来る人と、よう我慢(がまん) 出来ない人とあるぞ。この行(ぎょう) 出来ねば灰にするより外(ほか)ないのざぞ』
『神なぞ どうでもよいから、早く楽にしてくれと言う人 沢山(たくさん)あるが、こんな人は、今度(こんど)は みな灰にして、無くしてしまうから、その覚悟(かくご)して居(お)れよ』
『神が苦(くる)しむ時は、人民が苦(くる)しみ、人民 苦(くる)しむ時は神も苦(くる)しむのぞ。世界中の苦(くる)しみ、地上(ちじょう)の苦(くる)しみ、天上(てんじょう)の苦(くる)しみぞ。
この大峠(おおとうげ)を越(こ)してから大いなる試(ため)しがあるぞ。人の心の難(むずか)しさ計(はか)り知れんほどであるなれど、見て御座(ござ)れ、見事(みごと)な事 致(いた)して見せるぞ』
『外国が いくら攻(せ)めて来るとも、世界の神々(かみがみ)が いくら寄(よ)せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元(もと)の<神力(しんりき)>(”大いなる光りの存在”=霊的・高次元の絶対的・エネルギー) 出して…、神の まことの世に致(いた)すのであるから、神は心配(しんぱい)ないなれど、
ついて来れる臣民(しんみん) 少ないから、早(はよ)う掃除(そうじ)してくれと申すのぞ』